■S:今日の聖書の言葉
詩篇4篇6節

★多くの者は言っています。「だれかわれわれに良い目を見せてくれないものか。」主よ。どうか、あなたの御顔の光を、私たちの上に照らしてください。

■O:今日のコラム
「御顔」という言葉は特にダビデが多く用いて、詩篇によく出てくる言葉ですが、なぜダビデは主の御顔を慕い求めることにいつも飢え渇いていたのでしょうか。また私たちも「主の御顔を慕い求めよう!」とよく言うかと思いますが、なぜ主の御顔を慕い求めるのでしょうか。

それは結論から言うと「主の御顔が向けられることが本当の祝福と幸いであるから」だと言えると思います。そのことは有名な祭司アロンの祈りからも分かります。

「『主があなたを祝福し、あなたを守られますように。主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』」(民数記6:24~26)

主が私たちに御顔を向けてくださること、私たちが主の御顔を慕い仰ぎ見ていることは本来主と私たちの間にあるべきものであり、私たちにとっては最も幸いな祝福です。

しかし罪が私たちにあるとき、主は御顔を隠され、また私たちも御顔を避けてしまいます。むしろ正確に言うのであれば、主の御顔の前に出ることができません。主の御顔が隠されることは私たちにとっては呪いです。

「あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。」(イザヤ59:2)

「そよ風の吹くころ、彼らは園を歩き回られる神である主の声を聞いた。それで人とその妻は、神である主の御顔を避けて園の木の間に身を隠した。」(創世記3:8)

アダムとエバは自分たちが罪を犯したとき、主の御顔を避けて隠れました。またヨナも主の御顔を避けて反対方向へと向かいました。また幕屋や神殿の構造を見ると、いつも主の御顔は至聖所(西側)にありますが、イスラエルの民が太陽崇拝をしていたとき、人々は主の御顔の反対側(東側)の方に向いていました。

ですから主はこのように言われています。

「もし、わたしが天を閉ざしたため雨が降らなくなった場合、また、いなごに命じてこの地を食い尽くさせた場合、また、もし、わたしの民に対して疫病を送った場合、わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。」(2歴代誌7:13~14)

私たちは今困難な状況の中にあるからこそ、むしろ主の前にへりくだり、悔い改めましょう。主の御顔を慕い求めようではありませんか。その先に私たちにとって何よりもの幸いである主との交わり、主と一つにされる大いなる祝福があります。

また今日の聖書の言葉では「御顔の光を、私たちの上に照らしてください。」とダビデは言っています。光は聖書では御言葉を指します。(詩篇119:105参照)

つまり主の御顔の光は主が発せられる御言葉とも言えると思います。その御言葉は私たちを生かし、私たちを造り変え、私たちを自由にします。

ですから今日も主とその御言葉を求めていきましょう!今日も私たちに栄光の父から知恵と啓示の御霊が豊かに与えられることを感謝します!

■A:考えてみよう
・御顔の光とは何でしょうか。
・主の御顔を慕い求めているでしょうか。

■P:祈り
愛する主よ、今日もあなたの恵みが十分に注がれていることをありがとうございます。

今日という日にあなたの御顔を慕い求めます。どうぞ私のうちにある罪を明らかにし、取り除いてくださって、あなたの御顔を仰ぎ見させてください。そしてその御顔の光をもって私を生かし、その光の中を歩ませてください。

愛する主イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 たくみ 】

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