■S:今日の聖書の言葉
民数記32章6~8節

★モーセはガド族とルベン族に答えた。「あなたがたの兄弟たちは戦いに行くのに、あなたがたは、ここにとどまろうとするのか。
どうしてあなたがたは、イスラエル人の意気をくじいて、主が彼らに与えた地へ渡らせないようにするのか。
私がカデシュ・バルネアからその地を調べるためにあなたがたの父たちを遣わしたときにも、彼らはこのようにふるまった。

■O:今日のコラム
カデシュ・バルネアは、モーセがカナンの地を調べるために12人の斥候を遣わした場所です。10名は心が弱くなり不信仰な告白をしました。一方で、ヨシュアとカレブは「できます」と信仰の告白をしました。

カデシュ・バルネアの地において告白した言葉が、後に大きな違いをもたらします。皆様もよくご存知の通り、不信仰の告白をした民は荒野で滅び、信仰の告白をしたヨシュアとカレブは約束の地に入れられました。

モーセは、今日の箇所においてこのことを引き合いに出します。「約束の地に入ろうとしなかった父たちと同じ過ちをするのか?」「これから約束の地に入って戦うのに、あなたがたがとどまることによってまた彼らの意気をくじかせるのか?」と。

ガド族とルベン族がとどまっていたヤゼルとギルアデの地は緑のある高地であり、彼らは、この地において非常に多くの家畜を持っていました(民32:1)。ですから、約束の地に行かずとも、今の生活に満足していたのでしょう。

しかし、その地を相続するようには神様は命じていませんでした。約束の地はもっと先にあったのです(民32:19)。

彼らがエモリ人の王シホンを打ち倒し、地を占領したことは素晴らしいことでした。しかしそこで満足しては約束の地を手に入れることはできません。現状に満足し、とどまることが信仰ではありません。信仰とは、前進して戦うことです。

「信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたはこのために召され、また、多くの証人たちの前でりっぱな告白をしました。」(1テモテ6:12)

「兄妹たちよ。私は、すでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目指して一心に走っているのです。」(ピリピ3:13,14)

今の現状に満足し、とどまり、信仰によって前進することをやめてしまうでしょうか?それとも、最後まで勇敢に戦い、前に向かって、走るべき道のりを走ることを選び取りますか?
(自分には無理だと感じる時、そこに祈りが生まれます。その時、自分の力でなく、神の力により頼むことを学ぶのです!)

エジプトのヘブル語の意味は、「制限される」「狭い場所」という意味です。

イスラエルの民は、自由な生活を奪われ、楽しみ、将来、夢において厳しい制限を設けられました。彼らは、そのような過酷なエジプトの束縛から脱出したのです。主は、それらの制限という足かせを砕き、彼らに自由を与えられました。

私たちも、イエス様を信じ、十字架の贖いにより、エジプトの束縛、罪の支配から解放されました。しかしながら、私たちの思考パターンは、未だ、制限されているかもしれません。過去の生活を振り返り、あるいは今の生活に満足し、進むどころかとどまってしまっているかもしれません。

今日、エジプトの束縛、制限から脱出することを決心しましょう。

12人の斥候が遣わされた場所、カデシュ・バルネアとは、「聖別される地」という意味です。私たちは日々、聖別される地、カデシュ・バルネアに立たされています。自分の理性や感情、世の常識で決断するのか、神様の約束を信じ、みことばを基準とし、信仰によって決断するのか、どちらかを選ばなければなりません。

■A:考えてみよう
私の内に、主の約束を疑い、心くじけていることはないだろうか。
今日、みことばの剣によって切り分けられ、その部分を聖別されることを願い、みことばを求めましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ひさえ 】

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