■S:今日の聖書の言葉
民数記29章39節

★あなたがたは定められた時に、これらのものを主にささげなければならない。これらはあなたがたの誓願、または進んでささげるささげ物としての全焼のいけにえ、穀物のささげ物、注ぎのささげ物および和解のいけにえ以外のものである。

■O:今日のコラム
民数記28章と29章には、「神へのささげ物」の規定が書かれています。

28章2節において「イスラエル人に命じて彼らに言え。あなたがたは、わたしへのなだめのかおりの火によるささげ物として、わたしへの食物のささげ物を、定められた時に、気をつけてわたしにささげなければならない。」と書かれています。捧げものは、「定められた時に」(毎日、安息日、過越の祭り、収穫の日等)に「気をつけて」捧げなければならないと書かれています。

「気をつけて」をBLBで原語を調べてみました。「shamar」という言葉が使われていていました。意味としては、「保つ、保ち続ける」という意味合いで多く使われていました。このことから、神への捧げものは、毎日、安息日ごとに、また祭りごとに忠実に捧げ続けることを命じられているのだと思いました。

現代に生きる私たちにとっての、「神への捧げもの」とはなんでしょうか?一つには、「賛美のいけにえ」があると思います。また、「良い行い」や「持ち物を分け合うこと」も一つだと思います。

「ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。善を行うことと、持ち物を人に分けることとを怠ってはいけません。神はこのようないけにえを喜ばれるからです。」(ヘブル13:15〜16)

次の聖句を読むと、「私たちのからだ」も供え物としてささげられる物であることが分かります。

「そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」(ローマ12:1)

以前、分かち合われたメッセージが私の心に残っています。旧約時代において捧げた動物の犠牲は自ら祭壇から降りることはありませんでした。しかし、新約時代において、私たち自身を捧げるので、自らの意思で祭壇から降りることも可能だということでした。だから、私たちは、祭壇の上に自分自身を供え物として神に捧げ続けましょうという内容でした。

民数記の神への捧げものの規定を読んだ時も、私たちが神様に捧げる礼拝は、毎日、安息日ごとに、祭りごとに忠実に捧げ続けるべき物であることを思わされました。日々、新たな決心をもって、私たちのからだを神への生きた供え物として捧げ続けていきましょう!

■A:考えてみよう
今日も新たな決心をもって自分自身を神様に捧げていこう!!

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 あいこ 】

カテゴリー: マナメール

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