■S:今日の聖書の言葉
民数記26章65節

★それは主がかつて彼らについて、「彼らは必ず荒野で死ぬ」と言われていたからである。彼らのうち、ただエフネの子カレブとヌンの子ヨシュアのほかには、だれも残っていなかった。

■O:今日のコラム
民数記において、人口調査が2回行われています。1回目の1章は、エジプトから導き出されたイスラエルの民の数。2回目の26章は、約束の地カナンに導き入れられるイスラエルの民の数です。

40年の荒野の旅において、ことごとく神に対し罪を犯した旧世代の民は、ヨシュアとカレブを除いて、誰も約束の地に入ることができませんでした。約束の地カナンに導き入れられたのは、ヨシュアとカレブ、そして新しい世代の民でした。

「私は地では旅人です。あなたの仰せを私に隠さないでください。」(詩篇119:19)

「けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。」(ピリピ3:20)

イエスキリストを信じる者の国籍は天にあり、永遠のいのちの約束が与えられています。この地上に生かされている私たちは、イスラエルの民のように、約束の地を目指して荒野を旅している旅人なのです。

この地上の旅路において、私たちの古い人は何度も何度も死に至ります。しかし、それは幸いなことであり、約束の地に一歩ずつ確かに近づいている大切なステップなのです。

約束の地に導き入れたヨシュア、すなわちイェシュアと共に、十字架の死と葬りと復活を通り、新しくされた者だけが約束の地に入り、相続を受けるのです。

「もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。」(ローマ8:17)

「兄弟たち。私にとって、毎日が死の連続です。」(1コリント15:31)

「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」(ガラテヤ2:20)

先日の日曜礼拝の中で「多くのことではなく、唯一のお方(イエス様)に立ち返ること」を学びました。この地上の歩みにおいて、私たちには沢山の重荷と罪がまとわりついてきます。それらはいつも、自分自身にフォーカスを当てさせ、何をしなければならないのか、あれこれ考えさせ「多くのこと」に心のフォーカスを当てさせます。(ヘブル12:1参照)

しかし、イスラエルの民から私たちが学ばなければならない最も大切なことは、自分が主人となることをやめ「主を主とし続けること」です。

今日という日に一度立ち止まり、すべてを治め、すべてを完成される唯一のお方の御前にひれふし、主が主であることを告白しましょう。

そして私たちの愛するお方、私たちの約束の地、相続分であるイエス様ご自身を見つめ続け、このお方のもとに立ち返ることができますように。

■A:考えてみよう
下記の御言葉を朗読し、黙想しましょう。御言葉に基づいた信仰が、今日一日、私たちの心と思いを満たしますように。

「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。」(ヘブル12:2)

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 こばあい 】

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