■S:今日の聖書の言葉
民数記21章8,9節
★すると、主はモーセに仰せられた。「あなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの上につけよ。すべてかまれた者は、それを仰ぎ見れば、生きる。」モーセは一つの青銅の蛇を作り、それを旗ざおの上につけた。もし蛇が人をかんでも、その者が青銅の蛇を仰ぎ見ると、生きた。
■O:今日のコラム
荒野でイスラエルの民は何度もつぶやき、主に逆らい続けました。
聖書を読むと彼らは何と忍耐が無く、すぐに不平不満を口にする民なのだろう。と思ってしまいますが、実際にイスラエルに行って焼けるような日照りの中、荒野で数日間過ごした時、自分も含めて参加者全員が「暑い。クーラーの効いた場所に行きたい。冷たいもの飲みたい。疲れた。帰りたい。」と不満を口にし続け、聖書のイスラエルの民を裁くことは出来ないと思わされました。
荒野でイスラエルの民に起こった出来事はただ歴史の記録として聖書に記されているだけでは無く、終わりの時代に生きる私たちの信仰生活における重要な教訓として記されているのです。パウロはこの民数記の出来事を新約聖書でこう解説しています。
「また、彼らの中のある人たちがつぶやいたのにならってつぶやいてはいけません。彼らは滅ぼす者に滅ぼされました。これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです。」(1コリント10:10~11)
現在、私たちはあらゆる不満、怒り、訴え、批判が蔓延する時代に生きています。ウィルスの蔓延以上に恐ろしいのは人の心に裁きが蔓延することです。先日読んだ一つの記事に「人が最も残虐になるのは『悪に染まった』ときでは無く、自分が思う『正義を握った』ときだ。その時、自分の正義で人を攻撃し続ける。」と記されていて、確かにそうだと思いました。そしてそれが現在あらゆる場所で起こっています。
罪の根源は「善悪の実」です。それは善でも悪でも、自分が心の王座の中心座して神となり全てを判断することを意味しています。
聖書に預言されている反キリストの現れは注意すべきものです。彼はエルサレム神殿の至聖所に自分の座を設け自分を神のようにします。しかし、ここで反キリストが誰であるのかを詮索するよりも、自分自身の内にその性質があることを認め、悔い改めることが重要です。
心のエルサレムの王座に自分の座を設け、自分が全ての判断基準となる。これはまさに最も深刻な罪である高慢と傲慢であること、またそのような性質が自分自身の内にあることを認めることが必要です。
善であれ悪であれ、自分自身が心の中心に居て握るなら、そこから出てくるのは不満とつぶやき、批判と裁きと訴えです。脳科学者が研究したところ私たちが批判を口にする時、脳内には毒ヘビの毒と同じぐらい有害なホルモンが分泌されるそうです。それが分泌され続けると私たちはストレスを覚え、鬱になり、またあらゆる病気への扉を開くこととなるそうです。
では、この有害な蛇の毒にどうやって打ち勝つことが出来るのでしょうか。荒野でつぶやき、燃える蛇に噛まれたイスラエルの民が旗ざおに付けられた蛇を仰ぎ見ると生きるようになりました。この内容に対してイエス様は明確な解き明かしをしておられます。
「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」(ヨハネの福音書3:14~15)
私たちが自分自身を「主」とする罪の性質から解放されるただ一つの方法は十字架に付けられたイエス様を仰ぎ見ることです。主を仰ぎ見ると私たちは輝くのです。(詩篇34:5)
十字架で主イエスがどれだけ豊かな恵みを私たちに与えて下さったのかを知れば知るほど、私たちの口からは日々新しく主への賛美と感謝が溢れるようになるのです。主イエス・キリストの十字架にどんな状況においても感謝をする為の十分な理由があります。
■A:考えてみよう
主イエスの十字架の贖いの恵みを思い巡らし、その十字架の救いに感謝する時間を持ちましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しんご 】
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