■S:今日の聖書の言葉
民数記20章8節

★杖を取れ。あなたとあなたの兄弟アロンは、会衆を集めよ。あなたがたが彼らの目の前で岩に命じれば、岩は水を出す。あなたは、彼らのために岩から水を出し、会衆とその家畜に飲ませよ。」

■O:今日のコラム
第二テモテ3章1節には「終わりの日には困難な時代が来る」と書かれています。今、本当にそのみことばが突き刺さります。しかし、もしかしたらこれからもっと困難な時代がやってくるかもしれません。そのことを考えると、不安でいっぱいになり、夜も寝られなくなるかもしれません。

どうしたらこの困難な時代を生き抜いていくことができるのでしょうか。

今日の聖書の個所では、荒野でイスラエルの民が水がないためにモーセとアロンに逆らいました。そして、いつもの「エジプトに帰りたい症候群」が出てきます。

手に負えない民を見たモーセとアロンは彼らの前から去り、会見の天幕に入り礼拝しました。すると、主が語りかけられました。その内容が今日のみことばの個所になります。

神様は杖をとって会衆を集め、岩に向かって「命じるように」仰せられました。しかし、11節を見ると、モーセは岩を「二度打った」のです。そのことが理由で、モーセは約束の地に入れなくなりました。

■A:考えてみよう
さあ、皆さんはここから何が学べますか?まず、自分で考えてみましょう。マナメールを購読していると、いつしか短絡的に答えを求めてしまいそうになります。しかし、みことばを開き、みことばと格闘し、啓示を求め続けることが大切です。みことばを読んで、祈って、考えて、読んで、祈って、考えて。その積み重ねが開かれた啓示とつながっていきます。

ここから学べることのひとつは約束の場所に入るのに必要なのは従順と忍耐であるということです。モーセは非常に謙遜な人物でした。しかし、長年の民のつぶやきに耐え切れず、自分の力で水を出そうとしてしまいます。

「そしてモーセとアロンは岩の前に集会を召集して、彼らに言った。『逆らう者たちよ。さあ、聞け。この岩から私たちがあなたがたのために水を出さなければならないのか。』」(民数記20:10)

岩から水を出すのはモーセとアロンでしょうか?違います。神様です。しかし、ここでは「私たちが水を出す」という高ぶりが見て取れます。私たちも神様のなされることを自分がしようとしていないでしょうか。終わりの時代、ここに注意しなければなりません。

もう一つ学べることは「岩を打つ」ということです。これは単に岩石を叩いたら水が出てきたという話ではありません。霊的な話をしています。

それでは、岩とは何でしょうか。

「みな同じ御霊の飲み物を飲みました。というのは、彼らについて来た御霊の岩から飲んだからです。その岩とはキリストです。」(1コリント10:4)

岩とはキリストです。これを二度打ったのです。「打つ」ということばは「殺す」という意味もあります。つまり、モーセは自己中心からキリストを二度十字架につけて殺したということができます。

「一度光を受けて天からの賜物の味を知り、聖霊にあずかる者となり、神のすばらしいみことばと、後にやがて来る世の力とを味わったうえで、しかも堕落してしまうならば、そういう人々をもう一度悔い改めに立ち返らせることはできません。彼らは、自分で神の子をもう一度十字架にかけて、恥辱を与える人たちだからです。」(へブル6:4-6)

私たちも苛立ちや自己中心から、キリストももう一度十字架にかけようとしていることはないでしょうか。十字架はただ一度の贖いです。

まもなくイエス様は来られると信じます。ですから、誰一人堕落することなく、ますます神の国を熱心に求めていきましょう。

最後には打たれた(死んだ)あとに出てくるものです。岩を打つと水が出てきました。イエス様を通して見るなら、キリストが十字架で死なれたときにも何かが流れ出てきました。

「しかし、イエスのところに来ると、イエスがすでに死んでおられるのを認めたので、そのすねを折らなかった。しかし、兵士のうちのひとりがイエスのわき腹を槍で突き刺した。すると、ただちに血と水が出て来た。」(ヨハネ19:33-34)

イエス様の十字架の死によって、水と血が出てきました。上のみことば、第一コリント10章4節によると、御霊の岩から御霊の水が出てくると書かれています。イエス様の十字架での死と葬りと復活は、のちに私たちに御霊の注ぎをもたらします。

今日の聖書のことばの一つ前の章、19章では罪の赦しのために血が流されることが書かれています。また、水は聖書全体を通して真理、またみことばを啓示しています。何が言えるでしょうか。

「このイエス・キリストは、水と血とによって来られた方です。ただ水によってだけでなく、水と血とによって来られたのです。そして、あかしをする方は御霊です。御霊は真理だからです。あかしするものが三つあります。御霊と水と血です。この三つが一つとなるのです。」(1ヨハネ6:4-6)

民数記の19章、20章を十字架を通して見るなら、ここにつながります。

終わりの日には困難な時代がやってきます。この時代をどのようにして乗り越えることができるでしょうか。イエス様に信頼して歩むしか方法はありません。御霊(異言)、水(みことば)、血(血潮の祈り)これらをバランスよく祈ることで私たちの内なる人は完成へと向かい成長していきます。

■P:祈り
愛する天のお父さん、今日もいのちが与えられ、また主が新しい日を造ってくださったことを感謝します。しかし、実際に私の周りを見渡してみると、とても困難があふれています。正直、苦しくてさみしいです。自分の無力さを痛感します。しかし、私の弱さのうちに主が働いてくださることを感謝します。
あなたの恵みに100%信頼することができますように。みことばに従い、忍耐する力を与えてください。
どうか、モーセがしたように、自分の方法で、自分の力で岩を二度打つことがないよう、聖霊様、助け導いてください。
そして、この困難な時代を生きていくために、御霊と水と血によって祈る恵みをもう一度教えてください。医療よりも科学よりも政治よりも上にある真理、みことばに信頼します。私の地上での務めが完了するまで、日々あなたとともに歩み、なすべきことをなしていくことができますように。

イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。

【 しゅん 】

カテゴリー: マナメール

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