■S:今日の聖書の言葉
民数記16章9節
★イスラエルの神が、あなたがたを、イスラエルの会衆から分けて、主の幕屋の奉仕をするために、また会衆の前に立って彼らに仕えるために、みもとに近づけてくださったのだ。あなたがたには、これに不足があるのか。
■O:今日のコラム
アロンと同じケハテ族出身のレビ人コラは、祭司職がアロンの一族のみにしか与えられていないことに不満を持ち、ねたみの思いを持ちました。そして同じくモーセたちにねたみを持っていたルベン部族の数名と共謀して、全イスラエルの上に立てられていたモーセとアロンに反逆しました。
コラは自分自身も神に選ばれ、幕屋の奉仕という素晴らしい召し、特権が与えらていて、神のみもとに近づけられた者であったのにもかかわらず、そのことを忘れて、不足の思いがあったのです。
私たちも、神様が私たち一人ひとりにしてくださったこと、神様に与えられている素晴らしい召し、神様に選ばれ、愛されていることを忘れてしまうならば、人に対してねたみを持ったり、不満を持ったりしてしまいます。もしくは、自分に対して落ち込んでしまったり、自分の状況に対して不満を持ったりしてしまいます。
「これに不足があるのか」という言葉は、原語や詳しい訳を見ると「これは小さなことなのか」という意味です。コラは自分に与えられた素晴らしい召しを小さなことと思い、神様のみもとに近づけられた者であることへの感謝を忘れてしまいました。
私たちは、この地でそれぞれの働きや召しや役割が与えられていますが、今日の御言葉の箇所にもあるように、私たちも皆、イエス様の血によって、神様の豊かな恵みによって、「神に近づけられた者」たちです。
「しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。」(エペソ2:13)
神の子とされた特権があること、主を知ることができること、主と関係を持つことができること、主が私たちのうちにおられること、神様の豊かな恵みによって罪が赦されていること、イエス様の血潮によって大胆に神の御前に近づける特権があること…そして神様が私たちを主の御前に近づけてくださったことを私たちは決して「小さなこと」と思わず、感謝の心を持ち続ける者でありたいと願います。
私たちの今の状況がどうであっても、何かを失った状態であっても、不足の思いがある状況でも、イエスキリストを信じる私たちに与えられている神に仕える者とされている偉大な召し、神の子とされている偉大な特権を、感謝して握り続け、満ち足りる心を持ち続けることができますように。
「しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。」(1テモテ6:6)
私たちは主によって満たされるのでなければ、満ち足りる心を持つことはできません。 どんな物も、人も、働きも、評価や成功も、私たちを本当に満たすことはできません。満ち足りる心を持つには、ただ主によって満たされなければいけません。
今日も一日一日を主の愛、主の御言葉で、ただ主によって満たされることを追い求め続けていきましょう。そのために、神様ご自身を受ける分とする心が私たちのうちに益々与えられていきますように。
「レビ部族には、モーセは相続地を与えなかった。主が彼らに約束されたとおりにイスラエルの神、主が彼らの相続地である。」(ヨシュア13:33)
コラはレビ人であったので、神様ご自身を受ける分、相続地とする特権が与えられていました。今、主ご自身も、私たち一人ひとりのうちに、ただ主を受ける分とする心、ただ主を一番の報いとする心、ただ主ご自身を求める心を益々回復させたいと願っておられることを信じます。
■A:考えてみよう
状況がどうであっても、主が私たちひとり一人に与えられた決して変わらない豊かな恵み、素晴らしい特権、偉大な召しに対して、「これに不足があるのか?」と主ご自身が私たちに語っておられるのではないかと感じます。
神様が代価を払って私たちをみもとに近づけてくださったこと、イエス様がご自身のいのちを捧げてくださったこと、イエス様が十字架で私たちのすべての罪、咎、病を負ってくださったことに対して、自分のたましいに 「これに不足があるのか?」と今一度問いたいと思います。
そして、主に今一度申し上げたいと願います。「あなたこそ、私の主。私の幸いは、あなたのほかにはありません。」
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 ありさ 】
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