■S:今日の聖書の言葉
民数記9章22節

★二日でも、一月でも、あるいは一年でも、雲が幕屋の上にとどまって去らなければ、イスラエル人は宿営して旅立たなかった。ただ雲が上ったときだけ旅立った。

■O:今日のコラム
シャローム。平安がありますように。

イスラエルの民がエジプトを出た後、荒野の旅をはじめました。彼らがどのように荒野を歩んだのかが今日の御言葉です。

「二日でも、一月でも、あるいは一年でも、雲が幕屋の上にとどまって去らなければ、イスラエル人は宿営して旅立たなかった。ただ雲が上ったときだけ旅立った。」(民数記9:22)

イスラエルの民は、主が出発せよと命じるときに出発し、主がとどまっている間はとどまっていたことが書かれています。

出エジプト後の旅路を時系列順に調べてみると、とても驚いたことがありました。今日の御言葉の箇所の時点で、イスラエルの民がいる場所は「シナイの荒野」です。彼らはこの場所で幕屋の建設をしていました。

彼らがシナイの荒野に到着したのは、エジプトを出てから第一年目の第三月の第一日です。言い換えると、エジプトを出て二ヶ月でシナイの荒野に到着しました。

「エジプトの地を出たイスラエル人は、第三の月の新月のその日に、シナイの荒野に入った。」(出エジプト19:1)

民はこの場所で十戒と幕屋の型を与えられ、幕屋を作り始めました。そしてその完成にはなんと10ヶ月もかかっていることがわかります。

「第二年目の第一月、その月の第一日に幕屋は建てられた。」(出エジプト40:17)

そして最終的にイスラエルの民がシナイの荒野を出発したのは第二年目の第二月の二十日のことです。実に十ヶ月と二十日、シナイにつくまでよりも多くの時間を出発まで待ったということです。

「第二年目の第二月の二十日に、雲があかしの幕屋の上から離れて上った。」(民数記10:11)

■A:考えてみよう
このことから、エジプトを出てからの荒野の旅路を歩むうえで、大切な姿勢がわかります。それは、主が出発するときに出発し、主がとどまるところにとどまるということです。

私たちが主より先に出発することがありませんように。また、主が出発するときに遅れてしまうことがありませんように。

■P:祈り

愛するイエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 けいしろう 】

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