■S:今日の聖書の言葉
民数記7章89節
★モーセは、主と語るために会見の天幕に入ると、あかしの箱の上にある「贖いのふた」の二つのケルビムの間から、彼に語られる御声を聞いた。主は彼に語られた。
■O:今日のコラム
終わりの時の人々の姿として「多くの人たちの愛は冷たくなり」(マタイ24:12)、また「自分を愛する者(自己中心的な者)」(2テモテ3:1)になると聖書に記されています。
今まさにコロナウィルスの蔓延を通して私たちはお互いに距離を取り、遠ざからなければならない状況の中で、あらゆる人間関係に対して懐疑的になり愛が冷める時となっています。また買い占めや、ネット上でも政府やあらゆる団体、個人に対する批判や訴えが蔓延し、個人主義が今まで以上に強くなっています。これからますます、人間の罪と自己中心的な性質は顕著にあらわれるようになるでしょう。
このような時代の流れの中にあっても、主イエスと共に歩む私たちは「この世と調子を合わせてはいけません。」(ローマ12:2)。この数ヶ月の間に何度も様々なクリスチャンから「どこかの教会から感染者が出たなら、キリスト教界全体に迷惑をかけるようになる。」「良い証しにならない。」そのような話しを聞くことがありました。
もちろんそうです。だから私たちは十分に気をつけ、感染者が出ないように必要な対策をしていく必要があります。しかし、それと同時に、この時期に世の人々と同じように、「あそこの教会、あの団体、あの人」と後ろ指を指すのではなく、むしろ互いに重荷を負い合い、互いの守りといのちに満ち溢れた歩みを祈り合っていくことがますます必要です。
初代教会の時代、ローマの迫害の中で多くのクリスチャンがコロシアムで見せ物となり、どう猛なライオンに襲われ殉教して行きました。そのような残酷な処刑を人々は娯楽として楽しんだのです。
しかし、クリスチャンの殉教の姿を見てコロシアムは静まり返りました。なぜなら彼らが互いにかばい合い、他の人を守る為に我先にとライオンの前に進み出て盾となり、死に至るまで自己中心ではなく他の人々を思いやる生き方をし、キリストの心をあらわしたからです。このクリスチャンの殉教の姿を見てローマには大リバイバルが起こって行きました。
現在この危機的な時代の中にあって主が私たちに求めておられるのはキリストの愛を受けて私たちも互いに愛し合うことです。十字架にかかられる前にイエス様が切に祈られたこの御言葉は今の時代にこそ成就し、完成して行くと信じます。
「それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。
またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。
わたしは彼らにおり、あなたはわたしにおられます。それは、彼らが全うされて一つとなるためです。それは、あなたがわたしを遣わされたことと、あなたがわたしを愛されたように彼らをも愛されたこととを、この世が知るためです。」(ヨハネの福音書17:21~23)
イエス様はここで驚くことを祈っておられます。それは一つになる所に主が共におられ、そこに主の栄光が住まうようになるということです。旧約聖書の時代、最初に記した御言葉に書いてあるように、契約の箱に主の栄光が住まい、また箱の上にある贖のふたの間から主が語られました。贖いのふたには二対のケルビムが座しており、ここからは沢山の真理を学ぶことができますが、シンプルな一つの啓示は、二つのものが一つに一致する所で主が御声を語られるということです。
主を礼拝し祈りの生活を持つことと互いに愛し合うことは、終わりの時代に私たちがフォーカスすべき生き方であり、ここに第一の戒め、と第二の戒めが完成していきます。以下の御言葉を読み、今日も個人の歩みにおいて祈りの時間を持ち、主を求め、主を礼拝し、またお互いの名前を挙げてとりなし合う時を持ちましょう。
■A:考えてみよう
御言葉を朗読して祈りましょう。
「万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。 何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。つぶやかないで、互いに親切にもてなし合いなさい。」(1ペテロ4:7~9)
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しんご 】
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