■S:今日の聖書の言葉
ヤコブの手紙5章16節
★ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。
■O:今日のコラム
現在は世界中の人々が、疫病にかかること、また、それによって死ぬことを恐れています。
死には3つの種類があります。
1つ目は肉体の死。これはすべての人が100%いつか経験するものです。多くの人はこの「肉体の死」がすべての終わりと思い、恐れます。
2つ目は、霊的な死です。罪の介入によって、いのちの源である神との関係が断絶されたゆえに起こる死です。
「あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって…」(エペソ2:1)とあるように、人はもともと霊的に死んだ状態であり、イエス様を救い主として信じ、神との関係を回復する時にこの霊的な死からいのちへうつされます。イエス様との関係がない人生であるなら、たとえ肉体が生きていたとしても、霊的には死んだ状態です。
3つ目は、永遠の死です。または第二の死とも言われています。
「しかし、おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行う者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。」(黙示録21:8)
私たちが恐れるべき死はどの「死」でしょうか?
今日の箇所で、罪を告白し、互いのために祈るのは「赦されるため」ではなく、「いやされるため」であると書かれていることに注目したいと思います。
イザヤ書では、罪を悔い改めない民に対して、次のように語られています。
すると仰せられた。「行って、この民に言え。『聞き続けよ。だが悟るな。見続けよ。だが知るな。』この民の心を肥え鈍らせ、その耳を遠くし、その目を堅く閉ざせ。自分の目で見ず、自分の耳で聞かず、自分の心で悟らず、立ち返っていやされることのないように。」(イザヤ6:9~10)
私たちが取り組まなければならない深刻な病、それは私たちを永遠の死へと導く「罪」という病です。
イエス様との関係を回復し、霊的な死からいのちへ移されることが私たちの信仰生活のゴールではありません。私たちはその歩みをますます主に捧げ、ピリピ2章12節にあるように御霊の助けによって救いの達成をしていかなければなりません。
「そういうわけですから、愛する人たち、いつも従順であったように、私がいるときだけでなく、私のいない今はなおさら、恐れおののいて自分の救いの達成に努めなさい。」
イザヤ書にも見られるように、イスラエルの民は「神の民」とされながらも、悔い改めることをせず、それゆえに罪という病が癒やされることもありませんでした。
私たちも信仰のゆえに霊的なイスラエル、神の民とされましたが、そこで終わりではありません。私たちは日々の悔い改めをもって「罪」という病の癒やしを受け取り続けていく必要があります。
■A:考えてみよう
今はペンテコステへ向けた、御霊の注ぎを受け取る前の、備えのシーズンです。イエス様の上に御霊が鳩のように臨まれたのと同じように、わたしたちの内に、神ご自身であるみことばが蓄えられたところに御霊が注がれます。
私たちはこの期間に、更にみことばを心に刻み、蓄え、その上に臨まれる御霊を待ち望みたいと願います。また、みことばに立ち返ることをもって悔い改め、まつわりつく罪を捨てていきましょう。永遠の死を免れるために、悔い改めを通して、この「罪の病」から癒やされていきましょう。
また、世の人々が、疫病がもたらす肉体の死以上に深刻な永遠の死から免れる事ができるよう、日々、とりなし、イエス・キリストにあるいのち、救い、神の愛、福音を宣べ伝えていきましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 みちる 】
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