■S:今日の聖書の言葉
箴言29章15節(テモテへの手紙 第一 5章)
★ むちと叱責とは知恵を与える。わがままにさせた子は、母に恥を見させる。
■O:今日のコラム
皆さんは、親に叱られたことがありますか?
なぜ、他の人から注意されると素直に聞けるのに、親から注意されるとイラっとするのでしょうか?(もしかして僕だけですかね?)
しかし、聖書はむちと叱責は知恵を与えると言っています。そして、子どもに対して、わがままにさせた子は、母に恥を見させると続きます。
だれでも、自分の子どもは可愛く、甘やかしたいと思うものです。しかし、甘やかせばその瞬間はいいかもしれませんが、それを繰り返すと逆に弱く、わがままな子として育ちます。
僕は父親からあまり叱られることはありませんでした。とてもやさしい父親だったからです。しかし、どこか心の中で寂しさを覚えていることに最近気づきました。
それは、心のどこかに叱られなかったことは、自分に無関心であったのではないかという思いがあったからです。叱られることにより愛情を感じることもあるのです。
ここで気をつけなければいけないのは、怒りと叱責は違うということです。
怒りは自分の感情から発せられたものであって、愛に根ざしていません。逆に叱責はその人のためを思って愛を持って行うことが多いのではないかと思います。
子どもを叱責することはとてもエネルギーが必要です。めんどくさいこともあります。見てみないふりをしたくなる時もあります。
しかし、子ども戒め、正しい道に歩ませるのが親の使命です。だから、本当はしたくないけど子どもを叱ることがあります。
天のお父さんも同じ思いで私たちを叱責されることがあるのではないかと思います。本当はそんなことしたくないけど、私たちの事を思ってあえて厳しいことをチャレンジされる時があります。
そんな時は、その事から逃げることを選ばず、素直に叱責に応じたいものです。叱責から逃げると、その叱責はどこまでもあなたを追いかけてくるでしょう。しかし、叱責を受け入れ、悔い改めるなら、その叱責はあなたにとって宝となることでしょう。
主からの叱責に「はい。主よ。私が間違っていました。」と素直に応じることができるへりくだった心を養っていきましょう。そのために絶えず御霊に聞き従い、祈りとみことばの生活を通して主と良い関係を築いていきましょう。
■A:考えてみよう
自分でなんとなく、心がチクッと痛むことはありませんか?
わかっているけど、止めることができないことはありませんか?
神様はあなたから不要なものを取り除き、あなたと混じりけのない純粋な関係を築きたいと願っておられます。
自分の心を主に明け渡し、キリストの花嫁として整えられていきましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しゅん 】
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