■S:今日の聖書の言葉
使徒の働き28章23,24節
★そこで、彼らは日を定めて、さらに大ぜいでパウロの宿にやって来た。彼は朝から晩まで語り続けた。神の国のことをあかしし、また、モーセの律法と預言者たちの書によって、イエスのことについて彼らを説得しようとした。ある人々は彼の語る事を信じたが、ある人々は信じようとしなかった。
■O:今日のコラム
今日の箇所を読み、この御言葉が私の中に思い起こされました。
「もしあなたがたがモーセを信じているのなら、わたしを信じたはずです。モーセが書いたのはわたしのことだからです。しかし、あなたがたがモーセの書を信じないのであれば、どうしてわたしのことばを信じるでしょう。」(ヨハネ5:46,47)
私自身、律法を何か決まりや規定、守るべきチェックリストのようなものとして捉えていた時期がありました。
律法や預言者の書である旧約聖書に私たちはどれだけ真剣に向き合い、イエス様を見出しているでしょうか?その観点から見ると、ユダヤ人同様、私たちも目や耳が覆われている民なのではないでしょうか?
キリスト教の歴史を通して、あらゆる神学やニコライ派の教え(無律法主義)が教会に入り、旧約聖書は神の約束から切り離されることが教会の中に起こりました。クリスチャンは十字架の恵みで守られており、律法は過ぎ去ったものだから守る必要がないという教えが教会に入ってきました。
しかしイエス様はリビングトーラーと呼ばれるお方であり、トーラー(律法)を成就されるために来られました。
「わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。」(マタイ5:17)
パウロ自身、律法を何かチェックリストや決まりのようなものとして行うことに焦点をおいていました。しかし、ダマスコの近くで目が開かれた時にイエス様を見出し、今日の箇所にある通り、朝から晩までトーラーをもってイエス様のことをあかしするようになりました。
トーラーというヘブル語を構成している文字の意味をつなげると、「十字架に釘付けにされたかしらを見よ」という意味となるように、聖書のはじまりである創世記からイエスキリストについて啓示しています。
過越の祭りを終えて私たちは、五旬節に向けて御言葉を蓄え、主の約束を待ち望むシーズンに入っています。目が開かれ、律法を通してイエス様ご自身と出会うことを心に留め、御言葉を日々の生活で蓄えていきたいと願います。
■A:考えてみよう
聖霊が注がれた五旬節の日と、モーセが主の契約であるトーラーを受け取った日は同じ時期と言われています。私たちが聖書を通してイエス様を出会うためには、知恵と啓示の御霊が必要です。
御言葉を読む前に今日も聖霊様を歓迎していきましょう。
ペンテコステを通して、聖霊の注ぎを受けて私たちの覆いが取り除けられて主ご自身と出会うことができるように、主の契約を読み深めながら備えてまいりましょう。
■P:祈り
主よ、今日もあなたの御言葉が与えられていることを感謝いたします。
神を知るための知恵と啓示の御霊を今日も歓迎します。私たちの目の覆いを取り除けてくださり、律法を通して新しくイエス様と出会わせてください。
ペンテコステまでの期間、御言葉を自分の内側に蓄える期間として、御言葉に向かっていくことができますように。自分の情熱や熱心さではなく、主が飢え渇きを与えてくださることを感謝し、受け取ります。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まこと 】
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