■S:今日の聖書の言葉
テモテへの手紙 第一 4章7b-8節(箴言28 章)
★ むしろ、敬虔のために自分を鍛錬しなさい。肉体の鍛錬もいくらかは有益ですが、今のいのちと未来のいのちが約束されている敬虔は、すべてに有益です。
■O:今日のコラム
うちの牧師は、肉体と敬虔のために、両方怠らず鍛錬をしている、素晴らしい牧師です。毎日何百回と腹筋をしていると!そして、毎日何時間も祈りとみことばに費やしていると!!!その面では、かなり尊敬しております(笑)。
パウロはここで、「身体も霊も鍛える必要がある。だけど、霊を鍛える方が大切だよ」って言っていると思います。
肉体の鍛錬はそのまんま身体を実際的に鍛えることですが、「敬虔のために」 鍛錬するってどういうことなのかと思い、調べてみたところ、英語では“Godliness”と訳されており、それを直訳すると 「神を敬うこと」 だそうです。
神を敬うとは、一言で言えば、神様を喜ばせることだと私は思います。私たちが日々、神様の前に清い生活を保ち、礼拝を捧げ、感謝することを神様は喜ばれます。(テサロニケ人への手紙 第一 5章12-23節参照)
身体を鍛えることは、健康の為にすごく必要ですし、体力がないと動くことができないですし、やりたいことができません。
しかし、皆さんは、体力があるのに、動くことができるのに、やる気力が全然なくて、結局何もしなかったって経験ありますでしょうか?
例えば、祈り会、または礼拝のとき、身体は疲れていないし、元気だけど、神様に賛美する気じゃない、歌いたくないと感じるときは、完全に霊が元気ではありません。そんな時、私はよく、祈ります。「聖霊様、私を励ましてください。力づけてください。アパパパパパ~(異言で祈りだす(笑))」
このときこそ、鍛錬の時なのです!!
鍛錬って自分の感情でやりたい、やりたくないではなく、やってからこそ出てくる成果です。
だから、最初は異言で祈りたくない、歌いたくないって思っても、シンプルに自我をおき、異言で祈り、「ハレルヤ」っていう賛美を小さい声ででも口ずさみます。そうすると、霊が鍛えられていき、元気になり、しまいには、身体も異様に元気になりすぎて、跳びまわったり、笑い転げたり、叫んだり(^。^)
パウロは、敬虔のための鍛錬は今と未来のいのちに有益だと言っています。
例えであったように、鍛錬によって、私の今のいのちは実際的に益を受けています。そして、それだけではなく、未来(肉体が朽ちてから)でも、この鍛えられた霊は有益であるということです。
素晴らしいことじゃないですか?
肉体はどんなに鍛えても朽ちてしまう。けど、霊は鍛えたら鍛えただけで、朽ちることなく、永遠の私たちの財産になっていくのです!
そして、このすぐ後の9節でパウロが最後にパンチを利かせます。「このことばは、真実であり、そのまま受け入れるに値することばです。」アーメン!!!
■A:考えてみよう
トレーニングとは1日で結果がでるものでもないですし、続けていく必要があります。そして、最初はしんどくても、だんだんと強くなっていくと、身体が慣れてきます。
霊を鍛えることも一緒です。日々の積み重ねがとっても大切です。一緒に主と時間を過ごし、霊がいつも元気でいられるように鍛錬していきましょう。
■P:祈り
主よ、私の霊を起こし、鍛えさせてください。日々、あなたを喜ばせたい!私の肉の思いが反対の方向に行っているとき、聖霊様助けてください!そして、私の自我と肉をあなたの御前におき、あなたの導きに従わせてください!!
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 かよ 】
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