■S:今日の聖書の言葉
ヤコブの手紙2章14節
★私の兄弟たち。だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行いがないなら、何の役に立ちましょう。そのような信仰がその人を救うことができるでしょうか。
■O:今日のコラム
あなたの家族が来年からアメリカに10年間移住することになったとします。ある人はその事を真剣に受け止めて日本にいる間に英会話を学び、アメリカの生活習慣を学びその時を迎えます。とてもスムーズに移住の時を迎えることができるでしょう。
ある人は「とても信じられない」という心を持ち、今までと同じように暮らしてその時を迎えます。そして家族でパッキングが始まった時に「ああ、本当なんだ」と実感し、渡米します。アメリカに行ってから「何で準備してこなかったんだ!」と嘆くでしょうね。
信じている人は行いが伴うものです。そのような信仰は生きた信仰であり、その人を生かし、益をもたらします。
あなたは天の御国の住人になる事を信じているでしょうか?であるならこの地上にいる時から行いに変化があるはずです。そしてそのような信仰は私たちに永遠の報いという益をもたらすのです。
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ8:28)
神を愛するとは、神の命令を守ることです。それは行いを伴うものです。神に対する愛と尊敬を持って命令を守るなら、神はその人を助け、その事を成し遂げるために共に働いてくださって(ローマ8:28で使われている「働かせて」というギリシャ語は、そのような意味を持っている語です)その人にまことの益、永遠の報いをもたらすことになるのです。
でも愛や尊敬がないから行いをやめよう、などと言って尻込みしてはなりません。私たちは愛を持って従えることができる時もあり、未熟なら未熟なほどよくありますが愛がなく嫌々従ってしまうこともあるものです。しかし愛そうとする中に留まり続けている中で人は成熟し、愛する対象と深い関係を築く結果をもたらすものです。
夫婦も親子もそうではないでしょうか?最初から夫として、また父として成熟している人はいません。妻としても、母としてもそうです。葛藤しながらも愛をもって家族としての関係に取り組んでいるうちに、なくてはならない関係が出来上がって行くものではないでしょうか?
もちろんガンガンやろう!というと極端になりがちなので、従順とは「とどまりなさい」と言われる時にとどまり、「しなさい」という時に積極的に行うことである事を忘れてはなりませんが。
■A:考えてみよう
神を愛して尊敬をもって従う歩みを求めましょう。そのような願いを持つならば神は喜んで、恵みを注いで助けてくださる事を信じます。
上手く出来なくても、それも主の御前に素直に「上手く出来ませんでした」と申し上げたら良いのです。そして愛をもって何かを成した体験は、かけがえのない信仰の財産となって自分に、また天に蓄えられて行く事を信じましょう。
■P:祈り
主よ。私はあなたから与えられた信仰を持っていることを感謝いたします。愛によって働く信仰を働かせて、今日私があなたの願っておられる生き方を捧げることができるようにさせてください。あなたは私に良い計画を持っておられる事を感謝いたします。その計画に従って歩ませてください。あなたが共に働いてくださって、益を、永遠の報いを、永遠のいのちを、永遠の相続を、キリストの似姿を与えてくださる事を信じ感謝いたします。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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