■S:今日の聖書の言葉
レビ記19章1,2節
★ついで主はモーセに告げて仰せられた。「イスラエル人の全会衆に告げて言え。あなたがたの神、主であるわたしが聖であるから、あなたがたも聖なる者とならなければならない。
使徒の働き19章1,2節
★アポロがコリントにいた間に、パウロは奥地を通ってエペソに来た。そして幾人かの弟子に出会って、
「信じたとき、聖霊を受けましたか」と尋ねると、彼らは、「いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした」と答えた。
■O:今日のコラム
私たちはなぜ、日々、みことばを読み、また御霊によって祈り、血潮を宣言するのでしょうか?皆様にとって、それは言わずもがなかも知れませんが、それは「聖なる者となる」ため、すなわち「きよめられる」ためです。
今日の箇所であるように、「聖なる者となる」ことは、オプションではなく、神様から命じられたことです。黙示録の最後においても、みことばはこう言っています。
「不正を行う者はますます不正を行い、汚れた者はますます汚れを行いなさい。正しい者はいよいよ正しいことを行い、聖徒はいよいよ聖なるものとされなさい。」(黙示録22:11)
神の聖徒は、ますます聖なる者とならなければなりません。
神様が人にきよさを求める理由、それは主が私たちと一つになりたいと願ってくださっているからです。神様と人間は、もとは「ひとつ」でありました。
「聖とする方も、聖とされる者たちも、すべて元は一つです。」(ヘブル2:11a)
けれども「罪」という汚れの介入によって断絶されてしまいました。人は罪の堕落によって、神と「一つ」である関係を失いました。主は聖いお方なので、汚れと一つになることは出来ないのです。それゆえに主は、なんとしてでもあの頃の「一つ」を取り戻すために、私たちが聖められることを求め続けておられるのです。
今日のレビ記19章では、聖なる者となるためのあらゆる戒め、神の律法が書かれています。さてここで皆さん、聖なる者となるために、このすべての律法を実行できますでしょうか?
律法は私たち人間の養育係りでした(ガラテヤ3:25)。律法がなければ、人は自分の内の罪の存在にすら気づかず、肉の欲のままに生き、獣とさほど変わらない生き方になってしまっていたでしょう。
けれども、神が律法を人々に与えることによって、自分の内にある罪の存在を知るようにされ、また律法という養育係を置くことによって、人間が獣のように欲のままに生き、汚れに身を委ねてゆくことに歯止めをかけたのです。
人は律法によって、自分の罪の存在を知りますが、それと同時に『自分の力ではそれを守ることはできない』、『自分の力では完全に聖められることができない』という弱さを知るのです。
今日、並行して通読している「使徒の働き」ですが、私はこの書簡を言い換えるなら「使徒たちを通してなされた聖霊の働き」ではないかと感じます。
今日の箇所で、パウロはエペソに着き、そこの弟子たちに一番最初に聞いたこと、それは「聖霊を受けたか」ということでした。なぜでしょうか?
キリスト者にとって、御霊を受けたかどうかが、何につけても重要なことであることをパウロは知っていたからです。弱々しくイエス様に頼りっぱなしだった弟子たちが、使徒として大胆に神の働きをなしていったのは、まさに御霊の働きによりました。ですから、パウロはまず初めに、弟子たちに御霊を受けたかどうかを確認したのでした。
同じように、今日生きるキリスト者たちにとっても、御霊を受けたかどうか、は最重要なことであると信じます。自分の肉の力では到底、聖なる者となることができなかった私たちに御霊が与えられました。こうして、私たちは御霊の助けによって「聖なる者となる」道が開かれたのです。
今、私たちはペンテコステに向けて、御霊の注ぎを待ち望む期間にいます。心砕かれ、へりくだり、待ち望む者のところに御霊が豊かに注がれると信じます。私たちを助けてくださる、聖霊様を今日も大いに求め歓迎しましょう!
■A:考えてみよう
聖霊のバプテスマを受けられましたか?もし、まだ、確信が無い方は是非、今日、御霊を受け取りましょう!
「すでに御霊を受けています」という方。みことばには「神は御霊を無限に与えられる」とあります(ヨハネ3:34b)。求めれば求めるだけ、私たちは御霊を無限に受けることができるのです。なんという素晴らしいことでしょうか!ですから、私たちは今日も、更に、大胆に御霊の注ぎを求めていきましょう!
御霊により頼むことを通して、また、御霊に満たされることを通して、私たちはますます聖なる者とされ、内なる人が建てあげられていきますことを感謝します。
■P:祈り
愛する天のお父様。あなたが私たちに、惜しみなく、無限に御霊を与えてくださることを感謝します。
聖霊様、今日もあなたを尊びます。今日もあなたを歓迎し、あなたにより頼みます。自分の力では到底、義なる者となることはできませんでした。イエス様が御自分の命によって贖いの代価を支払い、私を買い取ってくださったことを感謝します。
自分の力では到底、聖なる者となることはできませんでした。聖霊様が注がれることを通して、聖霊様の助けによって、ますます罪が示され、ますます悔い改めに導かれ、砕かれて、聖なる者とされゆくことを感謝します。
聖霊様、歓迎します。聖霊様、あなたを悲しませているものをどうぞ教えて下さい。御霊を悲しませる一切のものを私の内側から締め出したいです。今日も神の宮である私自身の内に、あなたが豊かに住まわってくださいますように。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 みちる 】
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