■S:今日の聖書の言葉
使徒の働き9章17~18節
★そこでアナニヤは出かけて行って、その家に入り、サウロの上に手を置いてこう言った。「兄弟サウロ。あなたの来る途中、あなたに現れた主イエスが、私を遣わされました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです。」
するとただちに、サウロの目からうろこのような物が落ちて、目が見えるようになった。彼は立ち上がって、バプテスマを受け、
■O:今日のコラム
私たちは、御言葉に永遠のいのちがあることを知っています。御言葉は、神の私たちに対する愛の語りかけであり、私たちを救い、永遠のいのちを与えるものです。毎日聖書を朗読し、御言葉を愛することは、主を信じる者として当然起こる出来事です。
御言葉を単なる学問や道徳律のように扱うことはできません。御言葉を聞くなら、私たちはその聞いた御言葉に応答することが永遠のいのちをもたらしていくということを、聖書の多くの箇所に見ることができます。
ここでもパウロはアナニヤを通して神のメッセージを聞いてそれに応答しました。彼は御言葉を聞いて立ち上がったのです。他の箇所でも多くの信仰者が御言葉を聞いて立ち上がり、自分の人生に大きな回復を受け取っていくシーンを見ることができます。
「イエスは、そこを去って道を通りながら、収税所にすわっているマタイという人をご覧になって、「わたしについて来なさい」と言われた。すると彼は立ち上がって、イエスに従った。」(マタイ9:9)
神が私たちに語りかけられる御言葉に一つひとつが私たちに対する召しです。その召しに応答して立ち上がり、その召しに献身していきましょう。
召しに応じない悪い例も聖書から見ることができます。
「そこでロトは出て行き、娘たちをめとった婿たちに告げて言った。「立ってこの場所から出て行きなさい。主がこの町を滅ぼそうとしておられるから。」しかし、彼の婿たちには、それは冗談のように思われた。」(創世記19:14)
ここでもロトを通して語られる神のメッセージを聞いて「立って」と言われていますが、ロトの娘の婿たちは、その御言葉を軽く見、立ち上がらなかったのです。その結末は滅びです。しかし御言葉を聞いて、その御言葉を信じ、しっかり握って使命感を持って成し遂げていくことは、私たちにいのちをもたらします。
信仰は聞くことから始まっていき、聞いて立ち上がって、行うことによって全うされます。主に信頼し、御言葉を信じて生きる者は、信仰によって生きる者です。主は私たちがいのちを得、それを豊かに持つように導いてくださることを感謝いたします。
聞いて応答することは、永遠のいのちに溢れて生きるために重要なことです。
「まことに、まことに、あなたがたに告げます。死人が神の子の声を聞く時が来ます。今がその時です。そして、聞く者は生きるのです。」(ヨハネ5:25)
私たちの中の眠っている(聖書では眠りを死と表現することがあります)領域が目を覚ますことを祝福します。今がその時です。
ロトの婿たちの箇所で使われた「立って」という単語はヘブル語でクームという語でそれはよみがえりを表します。またパウロに対して、マタイに対しての箇所で使われた「立ち上がって」という語もギリシャ語でアネステイミーという語でよみがえりを意味します。神の御声を聞いて私たちの中の眠っている領域が目覚めていくのです。
■A:考えてみよう
御言葉の朗読の習慣を身に付けましょう。聖書を朗読することは、語りかけをきちんと吟味する感覚を養います。また個人的に御言葉から語られた語りかけに対して立ち上がり、献身しましょう。
■P:祈り
主の祈りは、私たちが御心を求め、毎日の語りかけ(日ごとの糧)を求める祈りが含まれています。主の祈りを祈りましょう。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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