■S:今日の聖書の言葉
使徒の働き4章31節

★彼らがこう祈ると、その集まっていた場所が震い動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだした。

■O:今日のコラム
今日から4月になりました。新しい1カ月、そして新年度のスタートです!心が晴れないような状況が続いていますが、そのようなことの中にも、ヨシュアとカレブにあった、違った心、主の約束に心を留めて、この1ヶ月そして新年度をスタートしていきたいと願います。

今日の使徒4章を読むと「彼らはペテロとヨハネとの大胆さを見、またふたりが無学な、普通の人であるのを知って驚いたが、、、」(使徒4:13a) とあるように、無学だった弟子が神の知恵を語る者となり、臆病だった者が大胆な者となったことが記されています。

4福音書を読むならば、臆病、おっちょこちょい、イエス様を困らせてしまう、裏切ってしまう、、、そのような弟子の一面が見えますが、ここでは驚くべき変化です!その鍵は、聖霊に満たされることにあります。まさに、「聖霊が臨む時に…証人となります。」という使徒1章のみことばの成就です。

弟子たちに初めに聖霊が下った日は、五旬節の時でした。旧約においては、この同じ時に、モーセが律法を受け取るのです。どうして、同じ五旬節に神のことばと聖霊が来られたのでしょうか。それは、この2つが1つとなる時に完全なものとなるからです。

石の板に与えられた律法だけでは、私たちは生きることができません。皆さんもそのことを体験しておられるのではないのでしょうか。しかし、主の霊が下る時に、心の板にみことばが書き記されるのです。律法が無関係になったということではなくて、古い文字の律法に捕えられていた者が、律法を御霊によって受け取り、それによって仕えるものとされたということです。

「神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格を下さいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者です。文字は殺し、御霊は生かすからです。」(2コリント3:6)

「彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。-主の御告げ-わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。」(エレミヤ31:33)

「あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。」(エゼキエル36:26)

弟子たちは3年半もイエス様と共に寝食を共にしました。そのように私たちも主と共にいることをまず学ばなければなりません。しかし、共にいても、数多くの奇跡を体験し、見ても、みことばを聞いても、本当に神様が言わんとしている、神のことばを理解できずに悟れない者だったのです。 

弟子たちがそうであったように、私たちも、神様が与えてくださった戒めの律法が、霊の真理となるプロセスを通る必要があります。弟子たちに聖霊が来られる必要があったように、私たちも日々聖霊を歓迎していくことを追い求めたと願います。

神のことばを語るということについて、弱い私が聖霊様の助けで福音を伝えていけるようになれる!ということだと今までは思っていましたが、さらに言うならば、神様のことばは神のことばですから、イエス様と同じことを告白する者となるということだと祈る中で思わされました。つまりは、私たちの口がイエス様の口と一つとされることであり、それが語る者であるということです。

聖書にもあるように、心に満ちていることが口から溢れますから、神のことばを語るためには、神のことばが心の板に書き記されることなくして本来はできないことなのです。だからこそ、聖霊様がみことばを語るには必要で、満たしのためでなく、みことばを語るために聖霊様を求めたのだと今日の箇所から教えられました。

神のことば生きていて力があります!神様のことばは霊でありいのちです!そしてこの神のことば心に記される時、共に働くことができます。神のことばと神のことばとして口から溢れる時に、みことばに伴う実体もあらわされていくと信じます!

「そこで、彼らは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた。」(マルコ16:20)

この終わりの時代に、私たちはますます神のことばを語っていく証人と歩んでいきたいと願います。私たちが恐れおののいて、状況に縛られて、消極的、後退していく時ではなく、今こそ、奮い立って、みことばを、みこころを行っていく勇士として立ち上がる時だと信じます!

■A:考えてみよう
私たちは、神のことばを語るという行いや、うまくできるできないという能力に着目しやすいように思います。しかし、言葉をうまく伝える技術や、すごい証を持っているから証人となるのではありません。反対に、弱さを持ち、足りないものだから神の言葉を語るにふさわしくないということでもありません。

また、その語る源はなんでしょうか。私の言葉に力があるのではありません。神の言葉に力があることを覚えます。私が熱心だから神のことばを語るのではなく、主の熱心が私たちそのように導いてくださるのです。

今日、神のことばを神のことばとして語るため、弟子のように、私たちも日々聖霊の満たしを求め、心の板にみことばが刻まれることを願いましょう。

■P:祈り

愛するイエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ゆうこ 】

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