■S:今日の聖書の言葉
出エジプト記36章2,3節

★モーセは、ベツァルエルとオホリアブ、および、主が知恵を授けられた、心に知恵のある者すべて、すなわち感動して、進み出てその仕事をしたいと思う者すべてを、呼び寄せた。
彼らは、聖所の奉仕の仕事をするためにイスラエル人が持って来たすべての奉納物をモーセから受け取った。しかしイスラエル人は、なおも朝ごとに、進んでささげるささげ物を彼のところに持って来た。

■O:今日のコラム
私は以前、礼拝は「主から元気をもらう時間」だと思っていました。もちろん、その部分もありますが、信仰の成長とともに「主から何かをいただきたい」という思いから、「主に捧げられるものはなんだろうか?」と考えるようになってきました。

今日の通読の箇所である出エジプト記35、36章は、礼拝の本質が書かれている部分になります。ぜひ、ご自分の聖書を開き、声に出して音読して味わってみてください。これから分かち合うことがその際のヒントになれば幸いです。

(1)安息日

「モーセはイスラエル人の全会衆を集めて彼らに言った。「これは、主が行えと命じられたことばである。
六日間は仕事をしてもよい。しかし、七日目には、主の聖なる全き休みの安息を守らなければならない。この日に仕事をする者は、だれでも殺されなければならない。」(出エジプト35:2,3)

十戒の一つでもある安息日の規定です。なんと、この日は仕事をするなら殺されてしまうのです。このことだけを見ると、神様はひどいお方のように思えますが、そこには神様の愛があります。

安息日は仕事をしてはいけません。この「仕事」とは、自分が生きていくための仕事です。一方、創世記の2章15節でアダムに命じられた「耕す」という言葉もまた「働く」という意味があります。しかし、こちらの「耕す(働く)」という言葉は、後に神殿で祭司が奉仕をするときに用いられる言葉です。安息日にしていけないのは前者の「生きていくための仕事」です。イエス様は言われます。

「いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。」(マルコ8:35)

つまり、礼拝の本質は「自分のためにすることをストップして、主にフォーカスする」ということです。

(2)喜んで捧げる

「あなたがたの中から主への奉納物を受け取りなさい。すべて、心から進んでささげる者に、主への奉納物を持って来させなさい。」(出エジプト35:5a)

この後、幕屋が建造されていきます。そのための材料は、イスラエルの民が出エジプトするときにエジプト人が好意を持って彼らに持たせてくれた品々です。イスラエルの民はそれらを自分のものとせず、幕屋の建築のために喜んで捧げました。

「そして言った。『私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。』」(ヨブ1:21)

私たちは何も持たずに生まれ、そしてなにも持たないで天国に戻っていきます。唯一、天国に持っていけるのはこの地上での主と共に歩んだその関係です。

私たちは沢山のものを持っていると思っていますが、実は何も持っていないのです。このいのちさえ主のものなのですから。それであれば、主のために喜んで捧げられるのではないでしょうか。経済だけではなく、時間、労力、あらゆるものを主のために捧げるなら、それが神殿の材料として用いられていくと信じます。

(3)知恵をもって主の命じられたことを成し遂げる
「ベツァルエルとオホリアブ、および、聖所の奉仕のすべての仕事をすることのできる知恵と英知を主に与えられた、心に知恵のある者はみな、主が命じられたすべてのことを成し遂げなければならない。」(出エジプト36:1)

主は名指しでベツァルエルを幕屋の建築のチーフデザイナーとして命じます。実際、イスラエルではここから「ベツァルエル美術大学」というものが今も存在します。聖書の人物が名前になる美術大学ってすごいですね!

この「ベツァルエル」という名前の意味は「天の写し」という意味です。また「オホリアブ」とは「父の天幕」という意味です。この二人がリーダーとなり幕屋を建築していきます。まさに、幕屋はモーセが山の上で見た天の光景そのままのものを地上に再現したものになります。天の写しが幕屋です。

イエス様の十字架の死と葬りと復活を経た今の恵みの時代、幕屋・神殿とは何でしょうか。

「あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。」(1コリント3:16)

私たち自身が幕屋です。その中に御霊が宿っておられます。これは、適当に生きていくなら建て上げられていきません。なぜなら、幕屋には詳細で明確な指示が神によってなされているからです。

神の指示とは何でしょうか。それはみことばです。聖書66巻を通して、私たちという幕屋がどのように建て上げられていくかが書かれています。これを自分勝手な方法で建て上げてはいけません。神様の方法で、知恵をもって建て上げなければなりません。

「だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。」(マタイ7:24,25)

私はかつて(今もですが)、自分は本当にみことばがわからないと感じたとき、このみことばを宣言していました。

「あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。」(ヤコブ1:5)

だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれるのです。大胆に知恵を求めましょう。そして、みことばに書かれている神様からのメッセージを知恵と啓示の御霊の助けをもって、しっかり受け取り、それを実行していきましょう。それが礼拝です。

■A:考えてみよう
36章の最後には、幕屋の建築の指示が細かくなされていきます。ことばで説明されているものを頭でビジュアライズするのはとても骨の折れる作業ですが、ひとつだけこの幕屋の形式から考えてみましょう。

聖所と呼ばれる部分は4層の幕で覆われています。内側から順に聖なる幕、天幕、天幕のおおい、上にかけるおおいという順番です。

一番外の「天幕のおおい」の素材はじゅごんの皮です。つまり、外側から見るととてもみすぼらしい姿です。しかし、一番内側の幕はケルビムが織り出された豪華絢爛な幕です。これは幕屋の中に入った者にだけ見ることが許される光景です。

これはまさにイエス様の姿です。十字架の受難で人々からはののしられ、さげすまれた地上で最も貧しい王となられました。しかし、三日目に死から力強く復活され、まことの聖所に入られました。

私たちの人生も苦難の連続でしょう。とくに、新型コロナウィルスの驚異などで心がぎゅっとなってしまっているかも知れません。しかし、今こそ主のために私たちの持てるものを捧げていきましょう。

今は過越しの祭りの直前です。そのときには様々な揺り動かしが起こるでしょう。しかし、そのことを通して主は本当に大切なものを何かを私たちに気づかせてくださいます。ですから、冒頭に書きました「安息日に(生きていくための)仕事をしたら殺される」というのは神の愛なのです。

今は本当に実際的にも、霊的にも重大な局面に差し掛かってます。忙しい日々ですが、一度立ち止まり、時間をとって主の御前にひざまずき、何が一番大切なことかを考えてみましょう。

■P:祈り
今日も私を愛し、考えられないほどの恵みを注いでくださる天のお父さん、あなたの愛をありがとうございます。今、本当に困難な時代です。今こそ主よ、あなたの助けが必要です。
今年の過ぎ越しの祭に与えられる主からの恵みをいただくために、今、何が一番大切かを見出すことができますように。
たとえ教会に集えなくとも、毎日家庭でみことばを読み、祈りを捧げることができますように。初代教会の信仰が回復していきますように。そして、礼拝の本質に私たちを導いてください。私の時間を、労力を、経済を、このいのちをも主に喜んで捧げます。

イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。

【 しゅん 】

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