■S:今日の聖書の言葉
出エジプト記14章13,14節

★それでモーセは民に言った。「恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることはできない。主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない。」

■O:今日のコラム
今日の箇所はイスラエルの民がまさにエジプトから出て行って、雲の柱、火の柱に導かれながら進んで行く場面になります。

エジプトのパロは、初子が打たれたことで泣き悲しみ、ついにイスラエルの民が出て行くことを許しましたが、彼らが出て行った後に、やはり出て行かせたのは間違いだったと考えて、彼らを連れ戻すために全戦車や軍隊を率いてイスラエルの民を追跡します。

イスラエルの民は海辺に宿営していましたが、パロはついに彼らに追いつきます。

エジプトは霊的な意味において、罪・この世・人間中心の象徴であると言われますが、まさに私たちの人生においても「エジプト」は私たちを追いかけ、どうにかして引き戻そうとして来るのではないでしょうか。

またエジプトという言葉自体には「狭い所」という意味があります。つまり罪は私たちの肉を楽しませ、満足感を得させるかもしれませんが、霊的においては私たちを狭い所に閉じ込める力があることを覚えます。

また御言葉の領域においても、自分中心の動機や考えで受け取っていては、本当に主が悟って欲しいと願っている御言葉の扉は開かれていきません。罪には真理による自由へいくことを妨げる力があることも覚えます。

そのような力を持つエジプトの王パロがもうそこまで来ているとき、イスラエルの民は不満を言います。

「私たちがエジプトであなたに言ったことは、こうではありませんでしたか。『私たちのことはかまわないで、私たちをエジプトに仕えさせてください。』事実、エジプトに仕えるほうがこの荒野で死ぬよりも私たちには良かったのです。」(出エジプト14:12)

あれだけエジプトを出ることを喜び、主をほめたたえていた人々は、敵が目の前に迫ると意見や態度を180度変えて、主とモーセに対して不満を言い、自分たちは正しい、自分たちに責任はなく、主とモーセに責任を置きました。

この態度もさらに私の態度であることを思わされます。「なんであれだけ祈って悔い改めたのにこんなひどい状況を与えるのですか」「自分はあのとき言ったよ、自分は悪くない」というような言葉や考えは私の中にあり、それは自己中心・自己義です。

このような人々に対して主はこのように言われます。

「それでモーセは民に言った。「恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることはできない。主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない。」(出エジプト14:13,14)

私たちは私たちの力でエジプトの力に打ち勝つことはできません。だからこそこれは主が戦ってくださる戦いであることを覚えます。なので私たちは恐れずに、しっかりと立って主の救いを見なければなりません。主の救いという言葉は「イェシュア」とヘブル語で書かれています。つまり私たちがイエス様を見るか見ないかが勝負の分かれ目です。

これは言い換えるならば「黙ること」です。つまり自分自分を黙らせる、自分の中にある肉が語ることを許さず、自分に死に、イェシュアを見続けることが私たちがエジプトの力に打ち勝つ道です。

私たちが黙るとき、主が戦ってくださり、たとえ困難に思えることが目の前にあっても、必ず主の業と栄光を見て、かわいた地を歩いて主が導かれるところへ足を踏み入れることができることを信じます。

■A:考えてみよう
繰り返し起こる問題や罪はないだろうか。
御言葉を読むとき自分を中心にしていないだろうか。
自分自身は黙り、主に信頼しているだろうか。

今日、導かれる方はともに下の御言葉を告白し、自分が生きるのではなく、主が生きて盛んになるように祈り求めていきましょう。

「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」(ガラテヤ2:20)

■P:祈り
神様、今日もあなたの愛と恵みを感謝いたします。その中で新しい1日が与えられ、生かされていることを感謝いたします。
今日の箇所を読むと、かつてイスラエルの民はエジプトの王パロが追い迫ったとき、自分自身を黙らせず、自分が正しいことをあなたの前に言っています。そして私もその1人であることを認めます。
あなたが黙りなさい、私の救いを見なさいと言われた通り、私の肉が語ることを制し、イェシュアを見ることを選び取ります。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きていることを告白します。

愛する主イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 たくみ 】

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