■S:今日の聖書の言葉
出エジプト記2章7~9節
★そのとき、その子の姉がパロの娘に言った。「あなたに代わって、その子に乳を飲ませるため、私が行って、ヘブル女のうばを呼んでまいりましょうか。」
パロの娘が「そうしておくれ」と言ったので、おとめは行って、その子の母を呼んで来た。
パロの娘は彼女に言った。「この子を連れて行き、私に代わって乳を飲ませてください。私があなたの賃金を払いましょう。」それで、その女はその子を引き取って、乳を飲ませた。
■O:今日のコラム
1章においてパロは、生まれてくる男の子を皆殺すように命じました。まるで黙示録で大きな竜が女から生まれてくる男の子を殺そうとしていたような光景です。
「その尾は、天の星の三分の一を引き寄せると、それらを地上に投げた。また、竜は子を産もうとしている女の前に立っていた。彼女が子を産んだとき、その子を食い尽くすためであった。」(黙示録12:4)
女とは教会を指しているのですが、私たちの霊的な子孫であれ、実際の子どもたちであれ、私たちに新しいいのちを与えられることは大きな喜びであり、同時に責任があります。野生の世界の捕食者が生まれたばかりの命を狙うように、生まれたばかりのいのちは悪に狙われることが多いのです。
私たちが子どもたちの守りと成長のために犠牲を払うことは重要なことです。そこには大きな喜びがあり、同時に責任があります。子どものために親がまずすべきは愛を注ぐことでしょうが、神の民として彼らが自分で立ち上がるために無くてはならないのは御言葉を教えることです。
実際の子どもの場合、聖書は難しいから大きくなってからが良いのではないか?大人になったら文法も漢字もボキャブラリーも豊かになって理解できるんじゃないか?と思うかもしれません。しかし私たちが話している日本語はとても難しい言語ですが3歳の子供でも話すことができます。それは日々愛する対象から語りかけ続けられ、与えられ続けてそうなっていくのです。「あなたの若い日に創造者を覚えよ」ですから、早いほど良いのです。イスラエル人は胎教でトーラー(モーセ5書)を聞かされ続けて生まれてくるそうです。
モーセは姉のミリヤムの機転によって、パロの娘の養いの中で実際の母から乳を受けました。モーセはヘブル女の乳によってまず育てられたのです。それは御言葉で育てられることを意味します。モーセもまずエジプトの最先端の学問を学ぶ前に御言葉教育をされたのです。
「その栄光と徳によって、尊い、すばらしい約束が私たちに与えられました。それは、あなたがたが、その約束のゆえに、世にある欲のもたらす滅びを免れ、神のご性質にあずかる者となるためです。
こういうわけですから、あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、」(2ペテロ1:4~5)
ここにも知識の前に信仰であるとあります。そのために御言葉の乳が重要です。
「いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。」(使徒20:32)
そして母はモーセが乳離れした時から、いやそれ以前からモーセのためにとりなし祈り続けたことでしょう。子どものために日々とりなし祈ることによって子どもは守られ、健全な霊的成長を助けられていきます。とりなしはその対象を胎に抱いて祈るようなものというイスラエルのとりなしの概念があります。とりなしは、とりなし祈る対象の人の中にキリストの御性質が豊かに宿っていくように助けていくのです。パウロがガラテヤ教会のために祈っていた様子を見てもそれが分かります。
「私の子どもたちよ。あなたがたのうちにキリストが形造られるまで、私は再びあなたがたのために産みの苦しみをしています。」(ガラテヤ4:19)
モーセに蒔かれた種が後に芽を出し、実を実らせたように、私たちはこの地上に主のための大いなる実を実らせるようになることを信じます!
■A:考えてみよう
霊的に、実際的に幼い子どもたちに御言葉を教えましょう。そして自分が関わるように召されている人々のために、霊的子孫の、そしてリーダーのためにもとりなし祈りましょう。
■P:祈り
主が私を養ってくださっているように、私も幼い者を養うために自分を捧げます。とりなし祈ります。どうか主が守り、養い、恵みを注いでくださって、満ち満ちた身丈にまで成長を与えてくださいますように。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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