■S:今日の聖書の言葉
ヘブル人への手紙12章11節
★すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。
■O:今日のコラム
主は私たちを霊的な存在であり、感情と意思と知性により構成される魂を持つ精神的な存在であり、そして肉体を持つ存在として創造されました。主が再び来られる時に、霊、魂、肉体の全てが完成されます。
「平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。 」(1テサロニケ5:23)
三位一体なる主がご自身のかたちに私たちを創造された時、霊、魂、肉体が一致し調和するようにデザインされました。それなのでこの三つの部分は繋がりがありそれぞれに連携し、作用し合います。
例えば、精神的に弱った時には、肉体的にも信仰面においても落ち込んでしまうことがあります。また霊的に満たされた時には全領域において力に溢れ、活動的になるということを経験します。
パウロは信仰生活における霊的な訓練に対して、肉体のトレーニングを対比することが多くありました。マラソンや格闘技などの例も挙げて信仰のレースを走り抜くことや、朽ちない冠を得るために忍耐することをチャレンジしています。
今日の箇所には御父の懲らしめによる訓練について記されています。ここには「訓練された人々」とありますが、これは肉体のトレーニングに使われるのと全く同じ言葉が用いられています。
肉体のトレーニングにおいても、そこには苦しみが伴います。何度もあきらめたり、弱音を吐きたくなり、苦しみと痛みを味わいます。しかし、続けて行く内に確実に筋肉は強められ、より大きな試練を耐える強さが養われて行きます。
私ごとになりますが、先日ある種目の国際ライセンスを取得しました。そのライセンスを取得するテストでは運動が3時間にも及び、体力と精神の限界を超えるまで追い込みが続き、途中で何度も「もう無理だ」とあきらめたくなりました。しかし、その度に自分の魂に「主が共におられる。強くあれ。必ず出来る。あきらめるな。」と言い聞かせ、苦しい試験を耐え抜き、合格を得ることが出来ました。
試験を受けている時には教官が鬼教官のように思えましたが、その試験を通してあきらめない心が養われ、より高い次のステップのライセンスを取る為の力となりました。
すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものです。試練や痛み、悩みや葛藤の只中にある時に私たちは、「なぜ主は私がこのような苦しみを味わうことをゆるされるのですか。」と、まるで主に見捨てられたように感じ、主が見えなくなることがあるものです。
しかし、主は絶対に私たちを離れず、見捨てることはありません。私たちが主を見えない時にも、主は私たちの右の手をしっかりと握りしめ、永遠の道へと導き続けて下さっています。
そして、その試練には理由があります。私たちがより多くの平安な義の実を結ぶ為です。
試練の只中にある時、あきらめそうになる時、自分の魂に何度でも主の御言葉を語り、主の約束を宣言しましょう。荒野の様な状況は、むしろ私たちが主に信仰の根を張り、御言葉の実を結ぶ為の最良の環境となります。そして、主は私たちに必ず試練を乗り越え、弱さに打ち勝ち、今ある問題を克服する力も下さいます。
■A:考えてみよう
主の御前に祈り、義の実を結ぶ為に「あきらめない心」を持つことが出来るように求めましょう。
「あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。 」(ヘブル10:36)
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しんご 】
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