■S:今日の聖書の言葉
ヘブル人への手紙8章3節

★すべて、大祭司は、ささげ物といけにえとをささげるために立てられます。したがって、この大祭司も何かささげる物を持っていなければなりません。

■O:今日のコラム
この大祭司とは、1節を見ると分かりますが大能者の右に着座された方であり、イエス・キリストです。

イエス様はささげ物といけにえを捧げられました。それはご自身の血とご自身の体です。私たちが罪赦され、大胆に神に近づくことができるのは、イエス様の血潮によるのです。

私たちはイエス様の血の注ぎを受けて、この体を捧げて神に近づくことができることを感謝いたします。それは神に受け入れられる生きたきよい供え物として捧げてなのです。

「そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。
この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」(ローマ12:1~2)

「神に受け入れられ」という語は、別訳では「神に喜ばれ」です。主の御心が何であるか?に敏感になっていなければ、神に受け入れられ、喜ばれる供え物になることはできません。礼拝は何を捧げても一緒ではありません。カインの捧げ物は喜ばれず、アベルの捧げ物は受け入れられ、喜ばれたのです。イエス様も、いつ、どのように、というセンスをいつも働かせておられたことを福音書から読み取ることができます。

そして捧げ物は死んでいてはなりません。生き生きといのちに溢れ、愛と喜びに溢れて捧げられるのです。

■A:考えてみよう
世に流されず、主の御心は何であるか?に敏感になりましょう。現代人は携帯の着信に敏感になりやすいです。そういう時、絶えず携帯に支配されるような感覚を覚えます。主の御心に敏感になれば、主の統治が絶えず私たちにあり、御心を悟り、生きたきよい供え物として自分のからだを捧げて、神に近づいていくことができることを信じます。

■P:祈り
自らを生きたきよい供え物として、御父の右に着座されたイエス様の十字架のみわざを褒め称えます。イエス様の血によって私の罪は赦されました。あなたのように私も自分のからだを生きたきよい供え物としてお捧げいたします。何を、いつどのように捧げてあなたをお喜ばせできるか?を悟ることができますように。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】

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