■S:今日の聖書の言葉
ヘブル人への手紙4章11節
★ですから、私たちは、この安息に入るように力を尽くして努め、あの不従順の例にならって落後する者が、ひとりもいないようにしようではありませんか。
■O:今日のコラム
安息日は全ての仕事を休んで、ただ神様を礼拝し、神様と一緒に時間を過ごす日です。本当の安息を経験する為には、神様との隔ての壁である、罪を取り除かなければなりません。
イエス様の十字架の贖いによって、信じるものは罪が赦され、神との隔ての壁が取り除かれ神様との親密な関係に入ることができます。ですので、神の安息はイエスキリストによってもたらされるのです。
11節にはこのようにあります。
「ですから、私たちは、この安息に入るように力を尽くして努め、あの不従順の例にならって落後する者が、ひとりもいないようにしようではありませんか。」(ヘブル4:11)
神の安息への道は、ただイエス様が十字架の贖いによって開いてくださいました。私たちの努力ではありません。それにも関わらず、ここでは安息に入るように力を尽くして努めなさいと言っているのです。どういうことでしょうか?
ここで言っているのは、イエス様が開いてくれた神の安息の中から落ちることなく、留まり続けるようにと言っているのです。
救いを頂いたあと、それでも私たちはこの地上で生活します。地上での生活においては罪との戦いがあります。どうしても信仰が必要になってくるのです。ですから、イエス様から目を離してしまうならば、私たちは地上の目の前の状況に左右されてしまい、すぐに恐れに支配されてしまい、神との安息から落ちてしまうのです。絶えずイエス様を見続け、十字架の贖いを信じ、神の安息の中に留まり続けなければならないのです。
その為に重要な事は次の節です。
「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。」(ヘブル4:12)
御言葉によって、自分自身の心を刺し通すことが大切です。自分が今何をしているのか?神様の安息の中に留まっているのか?自分の今の霊的状況を御言葉によって判別される必要があるのです。
聖霊様は御言葉を通して私たちを神の安息の中に導いてくださいます。具体的に言うならば、御言葉によって心を刺してきます。私たちの内側にある隠れた罪を示してきます。心が刺されるのは痛いです。そして、見たく無い自分の罪の性質と直面させられます。しかし、イエス様はその罪の為にわざわざ十字架にかかり、罪の贖いを成し遂げてくださいました。
私たちは主に信頼して悔い改めをしていきましょう。その先に待っているのは、さらに深い主との親密な関係が用意されています。それにより、さらに深い主への礼拝を捧げる事ができ、神の安息の恵みの中へ入ることができるのです。
神の安息に今日も入り続けましょう。世の中は混沌としており、あらゆる恐れに満ち溢れています。しかし、私たちがイエスキリストの中に、神の安息の中に留まり続けるならば、絶えず平安があり、何も恐れる必要はないのです。
今日も一日、イエスキリストの恵みが皆様の上に豊かにありますように。
■A:考えてみよう
私たちは神の安息の中に留まり続けているでしょうか?また、神の御言葉の中に留まり続けているでしょうか?今一度確認していきましょう。
■P:祈り
愛するイエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 あきひろ 】
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