■S:今日の聖書の言葉
マタイによる福音書26章41節

★誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。

■O:今日のコラム
ゲッセマネの園で眠ってしまった弟子たちに対して、イエス様が語られた有名なみことばです。

ペテロとゼベダイの子たちは、イエス様にじきじきに呼ばれて園へ行きました。イエス様が深い悲しみの中で祈り始められているような緊迫した状態で、弟子たちは眠ってしまいました。

ここを読むたびに、「ここ一番、寝ちゃダメな時でしょ。この弟子たちって一体…」と突っ込みたくなります。

ここ一番!という時に、弟子たちはなぜ眠ってしまったのでしょうか?あまりの緊張が耐えられず、現実逃避してしまったのでしょうか?43節には、眠ってしまった理由が次のように書かれています。

「イエスが戻って来て、ご覧になると、彼らはまたも眠っていた。目をあけていることができなかったのである。」

「目をあけていることができなかった」って、いや、そりゃそうでしょうよ、と言いたくなりますね。威厳に満ちて書かれていますが、一見すると、言い訳にもならない言い訳にのようにも見えます…

原語では「目が重たかった」と書かれています。どうなのでしょう?実際、私たちもあまりにも眠いと、まぶたが普段の倍、重くなったように感じることがありますが、そういうことでしょうか。それとも、これは祈りとみことばのない生活、生ぬるい信仰状態のことを言っているのでしょうか。一義的にはそうでしょう。

しかし、この「重い」という言葉は、原語では「重荷を負う」「問題、困難などでさいなまれる」「気落ちする」という意味があります。つまり、この「目が重い」とは、思い煩っている状態をあらわしています。

イエス様は、終わりの日のことについて、ルカの福音書で次のように警告しておられます。

「あなたがたの心が、放蕩や深酒やこの世の煩いのために沈み込んでいるところに、その日がわなのように、突然あなたがたに臨むことのないように、よく気をつけていなさい。」(ルカ21:34)

この「沈み込む」と「重い」の語根は同じ言葉になります。

私自身、自分では祈っているはずなのに、ふと気づくと、何かの心配事、人を赦せない心、やらなくてはならないこと、この世の関心事、怒り…etcありとあらゆる、「この世の煩い」というものに思いが占領されていることがあります。

もし私たちが『この世の煩い』というものに、自分の思いが占められている状態であるなら、どんなに熱心に祈っていたとしても、それは、自分の心を見張っていない状態、「目が重く」眠った状態であると聖書は教えています。しかし、そのような状態のことについて、イエス様は警告してくださっています。

「目をさまして、祈っていなさい。」

このみことばは詳訳聖書では、次のように書かれています。

「誘惑に陥らないように、あなたたちはみないつも目を覚ましていて、厳しく注意して、用心して、見張りをしていて祈りを続けなさい。霊は確かに熱心であるが、肉は弱いのである。」

「厳しく注意して、用心して、見張りをして祈りなさい。」イエス様はこのように厳重な注意を払うように語っておられます。なぜなら、私たちは熱心に祈っているつもりでも、容易に、そのような「世の煩い」や、この地上に属するありとあらゆる事柄に思いが占領されてしまうからです。目を覚ましているつもりでも、これは眠っている状態です。

「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。
あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。
何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」(ピリピ4:4~7)

思い煩いへの対策は、いつも主にあって喜ぶこと、また感謝をもって祈ることです。そうする時に、すべての考えにまさる神の平安が、私たちの心と思いを守ってくださると、みことばに約束されています。

私たちを眠らせようとする、あらゆる「世の煩い」から、私たちの心と思いを守ってくださる神の平安を、今日も受け取っていきましょう!

■A:考えてみよう
何も思い煩わない、とは、決して何も考えない、無計画で無責任に生きることではありません。それぞれに、仕事や家庭や、あらゆる任されていることがあり、責任をもたなければならない領域もあるでしょう。私たちはイエス様が来られるその日まで、任された領域で誠実に仕えていく必要があります。

けれども、祈る時、みことばを読む時などに、自分の思いがどこにあるのか、何が自分の思いを占めているのかを、見張りましょう。何か、祈ることを妨げ、主を見上げることをさえぎるあらゆる感情や思いがないかを、見張りましょう。

そのようにして、私たちは絶えず、目を覚まして祈る者となることができますように、祈り願い求めます!

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 みちる 】

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一つのコメント


  1. JOY より:

    励まされました(o^^o)私も、私達家族も、全ての人がそうなりますように!(o^^o)

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