■S:今日の聖書の言葉
ヘブル人への手紙6章19節
★この望みは、私たちのたましいのために、安全で確かな錨の役を果たし、またこの望みは幕の内側に入るのです。
■O:今日のコラム
このマナメールの準備をするために、何度もヘブル書を朗読するとき、ヘブル書は私たちを立たせ続けるために書かれた書簡であると感じました。
そのために、ヘブル書の著者は大祭司であるイエス・キリストという希望を強調しています。私たちが押し流されないように、たましいの安全で確かな錨の役を果たし、幕の内側へと導いてくださるイエス様ご自身が私たちの希望です。
希望・望みなどと訳されているのはエルピスという単語です。聖書でこの単語が使われている箇所を調べてわかることを大まかに4つにまとめてみました。
(1)希望は喜びを伴う
「またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。」(ローマ5:2)
「望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。」(ローマ12:12)
ローマ書では、希望と喜びがよくセットで出てきます。希望を持つとき、そこに喜びが伴うことがわかります。また、1テサロニケ5章8節では「救いの望み」はかぶととして書かれています。希望は私たちの思いを守るものであることがわかります。
(2)希望は信仰と御霊によって抱くもの
希望を抱くためには信仰と御霊の力の両方が必要です。
「どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように。」(ローマ15:13)
「私たちは、義とされる望みの実現を、信仰により、御霊によって待ち望んでいるのですから。キリスト・イエスにあって大事なのは、割礼を受ける受けないではなく、愛によって働く信仰なのです。」(新改訳聖書2017 ガラテヤ5:5,6)
そして信仰と希望は神にかかっています。
「このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。」(1ペテロ1:21b)
(3)イエス様ご自身が希望である
はじめにも書きましたが、御言葉からイエス様ご自身が希望であることがわかります。
「この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。」(コロサイ1:27b)
「私たちの救い主なる神と私たちの望みなるキリスト・イエスとの命令による、」(1テモテ1:1a)
「祝福された望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるキリスト・イエスの栄光ある現れを待ち望むようにと教えさとしたからです。」(テトス2:13)
(4)希望は私たちを聖所へ向かわせる
希望をいだくとき私たちは聖所へと向かいます。聖所は神様がおられる方向であり、きよいところです。
「--律法は何事も全うしなかったのです--他方で、さらにすぐれた希望が導き入れられました。私たちはこれによって神に近づくのです。」(ヘブル7:19)
「キリストに対するこの望みをいだく者はみな、キリストが清くあられるように、自分を清くします。」(1ヨハネ3:3)
そして、私たちがイエス様によって神に近づくとき、イエス様が私たちを完全に救ってくださいます。
「したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。」(ヘブル7:25)
■A:考えてみよう
「そこで、私たちは、あなたがたひとりひとりが、同じ熱心さを示して、最後まで、私たちの希望について十分な確信を持ち続けてくれるように切望します。それは、あなたがたがなまけずに、信仰と忍耐によって約束のものを相続するあの人たちに、ならう者となるためです。」(ヘブル6:11,12)
聖書が語る希望とはなんだろうか。
その希望について確信を持っているだろうか。
■P:祈り
私の目を開き、御言葉を悟らせ、聖書が語る希望とはなにかを教えて下さい。その希望について十分な確信を持ち続けることができますように。
愛する主イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 けいしろう 】
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