■S:今日の聖書の言葉
マタイによる福音書18章4節

★だから、この子どものように、自分を低くする者が、天の御国で一番偉い人です。

■O:今日のコラム
弟子たちの関心事はいつも、「誰が一番偉いか」でした。人間的な欲望、野心、プライドが表面的に出る弟子たちに対して、イエス様は御国で最も偉い人は「子どものように自分を低くする者である」と教えられました。

この基準は、今日も変わりません。

ルカ22章26節では、

「あなたがたの間で一番偉い人は一番年の若い者のようになりなさい。また、治める人は仕える人のようでありなさい。」

と言われました。最も偉大な人は、自分を低くし、必要のある人々や傷ついた人々に寄り添い、仕える人たちです。他の人に仕えるために自分自身を捧げる…それはまさに主ご自身がなされたことでした。イエス様はすべてにまさって偉大なお方です。なぜなら、人類の罪のためにご自身を捧げられたからです。(ピリピ2:1~11)

「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」(マルコ10:45)

仕えることは、主ご自身の生涯の目的であり、また同時に、主に従う者の生き方です。仕えることは、へりくだりを意味します。偉そうにしている人は仕えることができません。仕える人は自分を主張しません。イエス様は、ご自分の立場も権利も主張されませんでした。ご自分を無にし、実に十字架の死にまでも従われ、徹底的にへりくだる姿勢を私たちに示されたのです。

私もイエス様が歩まれた道を歩みたいと心から願います。傷ついた人を見つけ、人々の必要を見出し、それを満たす…これは口で言うほど易しくはありません。相手から理解されなかったり、相手を思ってした親切に対して、感謝もされず逆に不満や愚痴を言われてしまう…そのような経験がある方も多いのではないでしょうか。

イエス様はどうだったでしょうか。

「ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。」(1ペテロ2:23,24a)

イエス様は、文字通り、そのような生涯を送られました。ののしられても、苦しめられても、あきらめず、最後まで仕える者の姿をとられました。

イエス様の仕える姿勢の極致は、ご自分の命を贖いとして与えることでした。私たちの罪の刑罰を一身に引き受けて十字架にかかり、命を投げ出してくださいました。これ以上ない、へりくだりの極みです。イエス様こそ、何にもまさって最も偉大なお方です。

イエス様が生涯をかけて仕えてくださったその尊い愛と犠牲の大きさを見つめ、主に感謝を捧げましょう。

■A:考えてみよう
どんな小さなことでも誰かに「仕える」「分かち合う」「ささげる」「与える」ことをしていますか?自分が出来ること、持っているものを惜しむことなく喜んで兄弟姉妹のために捧げていきましょう。

仕えることは、神の子どもとされた者の喜びであり特権です。仕えることは、受ける以上の喜びがあります。なぜなら、私たちは仕えることを通してイエス様が歩まれた道を歩んでいるのです。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ひさえ 】

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