■S:今日の聖書の言葉
ヨブ記17章3節
★どうか、私を保証する者をあなたのそばに置いてください。ほかにだれか誓ってくれる者がありましょうか。
■O:今日のコラム
今日の聖書箇所を他の訳で見てみると、
「どうか、あなた自ら保証となられますように、ほかのだれがわたしのために、保証となってくれる者があろうか。」(口語訳)
と書いてありました。四方八方から苦しめられているヨブにとって神が唯一嘆願できる場所だったのでしょう。今日の聖書箇所の前の節に述べられている「私の霊は乱れ、私の日は尽き、私のものは墓場だけ。しかも、あざける者らが、私とともにおり、私の目は彼らの敵意の中で夜を過ごす。」(ヨブ17:1,2)ような状況の中で、神に望みを置き、願い、祈るヨブの姿を見ることができます。
この口語訳の中には、「あなた自ら保証となられますように」とあるように、人間的な保証ではなく、神様ご自身が確かな保証となってくだい!!︎という根本的な解決を求める強い願いが表れていると思いました。
今日の聖書箇所で使われている「保証」は、「arab 」とヘブル語では書かれていました。ヨブ記では、この箇所のみに使われていますが、最初に聖書の中で使われた箇所は、創世記43章8節です。それは、飢饉の時に、ヨセフにベニヤミンを連れて来なければ、食糧を与えないと言われました。ヨセフの兄弟たちは、父イスラエルを説得しようとしますが、なかなか父の許可を得ることができませんでした。
「あの子を私といっしょにやらせてください。私たちは出かけて行きます。そうすれば、あなたも私たちも、そして私たちの子どもたちも生きながらえて死なないでしょう。私自身が彼の保証人となります。私に責任を負わせてください。万一、彼をあなたのもとに連れ戻さず、あなたの前に彼を立たせなかったら、私は一生あなたに対して罪ある者となります。」(創世記43:8~9)
この時に、ユダが話した言葉の中に、「保証人」という言葉があります。この単語が、「arab 」です。「質に入れる」、「担保に入れる」、「~と引き換える」という意味がありました。つまりユダ自身のいのちを担保に入れる、彼のいのちが引き換えであるという意味にとることができます。この言葉、このユダの態度が、頑なにベニヤミンをエジプトに行かせることを拒んでいた父イスラエルの心を動かしました。このユダの姿の中にイエスキリストの十字架を見ることができます。
イエス様は、私たちのためにいのちをかけて下さいました。私たちが永遠の滅びから免れて、いのちの中に生きることができるのは、イエス様の十字架の犠牲よってのみ可能になったことを今日も新たに覚えたいと思いました。また、ユダのように自分が身代わりとなる、いのちをかけるというような態度は父の心を動かすのだと思いました。
「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」(ヨハネ15:13)
自分の周りにいる人をとりなし祈る時に、神様がこのような心を注いでくださるように祈りたいと思います。私たちの愛がイエス様にあって成熟していきますように。そしてイエス様の心を持って人々を切にとりなしていくことができますように求めていきましょう。
■A:考えてみよう
・毎日、自分の周りに与えられている人を覚えてとりなし祈っていこう。
・救われていない魂を覚えて、切に祈っていこう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 あいこ 】
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