■S:今日の聖書の言葉
マタイによる15章12節

★そのとき、弟子たちが、近寄って来て、イエスに言った。「パリサイ人が、みことばを聞いて、腹を立てたのをご存じですか。」

■O:今日のコラム
皆さん、アンパンマンという国民的アニメをご存知でしょうか。作者のやなせたかしさんはクリスチャンであり、アンパンマンのモデルはイエスキリストであると言われています。

先日、ある牧師先生が書かれた記事を読み、感動を受けましたのでご紹介させていただきます。

「お腹をすかせたカバオくんに顔をちぎってあげればあげるほど、顔は欠け、力もなくなり、毎回バイキンマンにやられそうになる。イエス様も人の罪の身代わりに丸裸にされ、手に釘を打たれ、弱り果てて十字架で死んだ。そして命を与えてくれたわけです。本当の正義とはかっこいいものじゃない。愛と献身だ。
『わたしは供え物を受けるより、あなたがたにあわれみ深くなってほしいのです』(マタイ12:7)
自分が礼拝を受けるよりも、僕たちが互いの苦しみを知り合って、いたわり合って、助け合うことを願う神様ってすごいと思います。キリストのように、自分の言い分(正義)を置いて、目の前でひもじい思いをしている人に、自分を分けてあげられる人になりたいと祈ります。」

今日の御言葉に戻りますが、イエス様が語られた御言葉を聞いたパリサイ人の反応は「腹を立てた」ということでした。この「腹を立てた」のところには、アスタリスクマークがついていて、聖書のページ下の注解を見ると「あるいは『つまずいた』」と書いてあります。

「あなたのみおしえを愛する者には豊かな平和があり、つまずきがありません。」(詩篇119:165)

みおしえを愛する者にはつまずきがない、と書いてあるのに、律法を守り行うことに熱心だったパリサイ人はつまずいたのです。彼らの行い、その熱心さを見るならば、彼らこそが義なる者のように思えます。

しかし御言葉には「義人はいない。ひとりもいない」(ローマ3:10)と書かれ、人の義は「不潔な着物」(イザヤ64:6)のようであると書いてあります。

それでは、律法に熱心だったにもかかわらずつまずいたパリサイ人たちのようにではなく、本当の意味で「みおしえを愛する」とはどういうことなのでしょうか。神の義に生き、御言葉を守り行うとは、どういうことでしょうか。

それは「キリストの愛の中に生きる」ことです。御言葉なるイエス様の歩みは、愛に根ざし、愛に基礎を置いていた歩みでした。私が誰かを愛し、私が御言葉を行うのではなく、私は死に、私の内なるキリストが、御言葉の愛に生き、歩まれるのです。

今日の記事に出てきた御言葉にもあったように、第一のものを第一とすると同時に、私たちがあわれみ深くなること、愛に生きるようになることが、イエス様の心であることを今日覚えたいと思います。

「神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。神を愛する者は、兄弟をも愛すべきです。私たちはこの命令をキリストから受けています。」(1ヨハネ4:20,21)

「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ13:34)

愛が冷えていくこの終わりの時代に、神様の愛はますます燃え上がり、聖徒たちを通してまことの義と神の愛が、イエス様の十字架が証されていきますように。

■A:考えてみよう
・今日も第一のものを第一とし、神様を神様として認めるとともに、天のお父さんの愛の中で、正しい「アイデンティティー」を受け取りましょう。

・自分が気づいていても気づいていなくても、愛し、とりなし、支えてくれている「隣人の存在」を神様に感謝しましょう。そして、神の国がこの地に来て、神様の栄光が現されるために、神の家族一人ひとりに与えられている神様の使命とご計画が成されることを祝福しましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 こばあい 】

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