■S:今日の聖書の言葉
マタイによる福音書11章28~29節

★すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。

■O:今日のコラム
おはようございます。新しい一日の始まりを感謝します。

皆様は、今朝どのような心で目覚められますか?清々しい気持ち、晴れやかな気持ちで目覚める日もあれば、問題、困難、葛藤を抱えて、朝からため息をつきたくなるような日もあるのではないでしょうか。

しかし、どのような状況であったとしても、この日も主が造られた日であり、主の素晴らしい恵みが満ち溢れていることを感謝します。

私たちは主の作品であって、主が私たちの取り扱い方法を誰より知っておられます。造られた目的と違うように動くならば、私たちは壊れ、正しく機能しなくなってしまうのです。

重荷を持ち、疲れている時はまさにそのような状況のサインではないでしょうか。そしてそのような時、「なんで」という不満、「私はこんなにやってるのに」という心、反対に「私がだめだから」と自分を責める思いにとらわれてしまうように思います。しかし、それらの内から湧いてくる思いを握り続けることを手放したいと願います。

今日の箇所にあるように、まず言葉通り、感謝と賛美をもって主の御前に進み行き、また葛藤や困難、重荷がある時も主の御前に進み行く。私たちの心を十字架に打ち付け、全てのことをもって主に向かう時に変えてしまうならば、主が主から来る平安を与えてくださることを宣言します!

主と共に歩む中においても、たくさんの試練やチャレンジはありますが、それを乗り越える力も恵みも全て主が備えてくださることに信頼します!

そのことを始めに覚えると同時に、今日の箇所を読む中でさらに導かれたことは、主が何を重荷とされているのだろう、何から私たちを回復したいと思っておられるのだろう。ということでした。

主をお迎えした、マリアとマルタの話から見てみましょう。

「ところが、マルタは、いろいろともてなしのために気が落ち着かず、みもとに来て言った。」(ルカ10:40a)

最近、この「気が落ち着かず」というのは「すべきことからずれていた」とう意味合いがあることを学び、また深く教えられました。ここで覚えたいのは、マリアにもマルタにも主を迎えたいという心はあったのです。けれども、主が願われる行いではなくて、自らの行いをもって主に仕えることを選んだためマルタは主からの叱責を受けました。

また、イザヤ1章を読むならば、むなしい捧げもの、不義、例祭や祭り、、、それらを主は憎み、「それらはわたしの重荷となりわたしは負うのに疲れ果てた。」と記されています。主も重荷を感じることがあるのです。

マルタを見ても、イザヤ1章を見ても、どんなに主に仕えているようでも、形だけの行いをすることをもって満足し、自分の行いで自分を着飾るかのようにしてしまう、、、本当にすべきことからずれてしまうならば、それが主の重荷となってしまうのです。

そして主が重荷とされることは、今生活の中で私たちが思い感じる重荷以上に、私たちにとっても、深刻な重荷であることを覚えます。

実は、この重荷を多くのクリスチャンは知らない間に負っているのではないかと思いました。だから、主を知っていても、正しいと言われようなことをしていても、どこかでは満たされない心があったり、主だけで心を満たすのではなくて、世のものや、主ではない何かを取り入れて、心のバランスを取ろうとしてしまうようなことが内側に置いて起こっているのではないでしょうか。私が心地よい、私が壊れない、私にあった信仰の持ち方を持ってしまう…私自身が取り扱われている最中です。

しかし、そのようなどっちつかず、世も、神様も取り入れていくことは、二心で歩むことであり、偽りのくびきを負っていることになってしまうのです。

「不信者と、つり合わぬくびきを一緒のつけてはいけません。正義と不法とに、どんなつながりがあるでしょう。光と暗やみに、どんな交わりがあるでしょう。」(2コリント6:14)

今日の箇所に戻ります。

「わたしのくびきを負って歩もう」「わたしから学びなさい」その全ては主からのプロポーズであることを覚えます。主の招きに答えるならば、何度間違っても、主が教え続けてくださることを感謝します。

マルタは、主を求めたいという心を持っていても、自分の方法で主を満たすことはできないことを悟らなればいけなかったのです。しかし、主を求めたいという心を持っているからこそ、マルタに主は、正しいことが何であるかをはっきりと教えてくださったのではないでしょうか。

「しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」(ルカ10:42)

私たちも、主からの語りかけを受け、マルタからマリヤへと進んでいきたいと願います。

くびきを想像すると分かることですが、くびき負って歩む中にあって、神様が進みたい目的地に、神様のペースで導いてくださいます。私の信仰をもって私の目的地に進んでいくのではなくて、主の信仰の中を歩んでいけるのです。

■A:考えてみよう
・自分自身が感じる、実際的な重荷、疲れを主の前に明け渡しましょう。自分が抱える思いでなく、主の平安が今日も皆様を包みますように。主が全ての問題のただ中においても勝利を与えてくださいますように。

・今日のマナメールでもシェアさせていただいた、主が重荷とされることを私が選び取ってはいないだろうか。自分の重荷は分かりやすくても、主の言われる重荷を自分が背負っているとはなかなか悟れないように思います。聖霊様が、深い悟りを与えて重荷を手放すことができますように。

そして、「主のくびきを負います。主から教えられることを求めます。」と、今日も主の招きに応える祈りを捧げてまいりましょう。

■P:祈り

愛するイエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ゆうこ 】

カテゴリー: マナメール

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