■S:今日の聖書の言葉
マタイによる福音書6章9~13節

★だから、こう祈りなさい。
『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。〕

■O:今日のコラム
マタイの福音書5章~7章は「山上の垂訓」と言われるイエス様の最初の教えであり、主イエスの律法(トーラー)と言われる重要な箇所です。この山上の垂訓で、主イエスはモーセの律法をさらに深め、心の内にある隠れた動機にまで光を照らしています。

この山上の垂訓こそクリスチャン生活の土台となる教えです。この主の教えを聞いて実行する時、私たちは揺るがない岩の上に信仰の家を建て上げて行くことができるのです(マタイ7:24~25 参照)。教会史の中で、どの時代においても教会に真理の回復をもたらした人々は山上の垂訓の御言葉を愛し、実行する人々でした。

山上の垂訓を実行する上で私たちが覚えておかなければならない重要な二つのテーマがあります。その一つが「主イエスの十字架の恵み」です。律法の目的は私たちに罪を自覚させることです。山上の垂訓は主イエスが語った最高の律法ですが、これを文字通り実行しようとするなら、この基準に到達出来る人は一人もいないでしょう。

この山上の垂訓の中で主は心の内にあるものにまで触れておられます。姦淫という罪は心の内の情欲に原因があり、人殺しという罪は心の内の怒りや、憎しみにその原因があることが理解出来ます。自分の心の内まで光を当てて見た時に、だれも「自分には罪がない。」と言うことは出来ないでしょう。つまり私たちは全員が主の裁きを受け、地獄行きの身分なのです。

しかし、その罪の重荷の中に差し込む一筋の光が主イエスの十字架の救いです。山上の垂訓の教えを通して私たちは「私にはイエス様による罪の赦しとその十字架の救いが必要だ。」ということを実感出来るようになり、その十字架の偉大な恵みへと私たちを導きます。

もう一つの重要なテーマが「聖霊の力」です。実際に自分の肉体の手を切り、目をえぐりだすことは不可能でも、御霊により私たちの内にある不義や汚れの手が切り取られ、裁きや怒りの目がえぐり取られ、主にある聖く、信仰に満ちた手や目を持つことが可能なのです。それはまさに御霊なる主の力と助けによってのみ可能となります。

山上の垂訓は全てが大切なので繰り返し、続けて朗読することをおすすめします。6章には「主の祈り」が記されていますが、この祈りを教える時、イエス様は「だから、こう祈りなさい。」と言われました。これは詳訳聖書には「こう祈り続けなさい。」と記されています。主の祈りを含む山上の垂訓全体を、私たちは自分の信仰告白として朗読し続けようではありませんか。

山上の垂訓には御国の民としての生き方が記されています。この主イエスの教えに信仰の土台を置く時、私たちは決して揺り動かされることの無い、御国の上に信仰を築いて行くことが出来ます。

ニュースを見ると、国々の戦争の噂や、恐ろしい疫病の蔓延など、私たちから平安を奪うような情報が沢山あります。様々な面から見て今は明確な終わりの時です。だからこそ私たちは慌てて、恐れ退く者ではなく、御国を求め、御国の生き方をする主の民として歩んでまいりましょう。暗闇がこの地を覆う時、私たちの内に生きておられる主イエスの光がこの地を照らします。キリスト・イエスにあって、私たちも世の光とされているのです。

■A:考えてみよう
山上の垂訓を朗読し、この世の価値観から御国の価値観へと思いが変えられることを主に祈り求めましょう。

今日一日の歩みの中にも御国が来ますように。主のみこころがなされますように。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 しんご 】

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