■S:今日の聖書の言葉
マタイの福音書5章48節(ヨブ記5章)
★だから、あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。
■O:今日のコラム
皆さんにとって、「完全」とはどのような状態のことを指すでしょうか。
今日から三日間は山上の垂訓ですが、その最初の5章の結論はこのみことばです。
完全とは一体何でしょうか?
ここで使われている「完全」という言葉のギリシャ語を調べてみると、その意味が見えてくると思います。以下、みことばをいくつか見ていきましょう。
「イエスは彼に言われた。『もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。』」(マタイ19:21)
完全、つまり、自己犠牲的な品性を伴う霊的成長を得たいのであれば、犠牲を払って隣人に施すことが大切です。そうするなら、イエス様についていくことができます。
「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」(ローマ12:2)
神の完全さをわきまえ知るためには、この世の外面的な流行を追い求め、それについてくのではなく、神のみこころを求め続ける必要があります。
そのためには自分を全く異なった人として生まれ変わらせてくださるイエス様の恵みに、より頼むしかありません。この御方によってのみ、古い基準ではなく、みことばが指し示す新しい基準に順応して変えられ続ける心の態度が培われていきます。
「しかし私たちは、成人の間で、知恵を語ります。この知恵は、この世の知恵でもなく、この世の過ぎ去って行く支配者たちの知恵でもありません。」(1コリ2:6)
さて、このみことばのどこに「完全」があるのでしょうか。答えは「成人」ということばです。ここでは「成人」と「完全」は同じギリシャ語が使われています。つまり、ここからわかるのは「完全」とは霊的成長を遂げた大人になるということです。
したがって、完全とは、理解力において成熟した、霊的に円熟したキリスト者になるということです。
「完全なものが現れたら、不完全なものはすたれます。」(1コリ13:10)
大人になると、子どものころに興味を持っていたものには関心が向かなくなります。同じように、私たちが霊的に成熟し、神様の御心を教えていただくなら、今まで関心があった、この世に属するものは色あせて見え、興味がなくなってくるはずです。
このような霊的成熟を目指そうではありませんか。
「兄弟たち。物の考え方において子どもであってはなりません。悪事においては幼子でありなさい。しかし考え方においてはおとなになりなさい。」(1コリ14:20)
完全になるために必要なのは大人の考え方です。
あるメッセンジャーが言っていたのですが、その教会には、毎週、ある会社の重役の方が来られていたそうです。社会的な立派な地位があり、風格のあるその方が礼拝に来た時、自分がいつも座っている席に他の人が座っていたことだけでお怒りになったそうです。
考え方においては子どもであることは恥ずかしいことです。年齢には関係なく、知性において大人を目指しましょう。
「ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。」(エペソ4:13)
これこそ、私たちの目指すべき姿です。
信仰の一致は、単に人間的な愛で人を愛するのではありません。まず、正確なみことばの理解を持って私たちがしっかりと真理に立ち、キリストとつながることです。イエス様の考えが私たちの考えとなることです。
ここでの「完全なおとな」とは、キリストご自身の完全という標準の高さより下に下がらない人格の完全性です。つまり、イエス様と同じようになるということです。
「ですから、成人である者はみな、このような考え方をしましょう。もし、あなたがたがどこかでこれと違った考え方をしているなら、神はそのこともあなたがたに明らかにしてくださいます。」(ピリピ3:15)
私たちがみことばを読み続け、祈り続けるなら、神様は間違った道から私たちを真理、そして永遠のいのちへと導いてくださいます。
以下、参考のみことばを記しておきますので、ご自身の聖書を開いて確認してみてください。
コロサイ1:28、4:12、ヘブル5:14、9:11、ヤコブ1:4、1:17、1:25、3:2、1ヨハネ4:18
これらのみことばを見て見るなら、「完全=大人」ということが見えてきます。
私たちは幼子の心を持ちながらも、考え方においては大人になる必要があります。
天の父が完全なように、完全であることを目指しましょう。
■A:考えてみよう
どのようにしたら霊的成熟をとげた完全な大人の信仰に達することができるのでしょうか?
それが山上の垂訓の生き方です。この中に具体的な指針がたくさん書かれています。これを正確に受け取り、そして実行することです。
しかし、同時に、「そんなの無理!」と思うかもしれません。そうです。無理なんです。
以前、アルゼンチンで宣教されている在原師がメッセージされていた中で、笑顔で「自分に失望!!」と言われていました。
みことばを読めば読むほど、自分に失望します。しかし、それがスタートです。真の悔い改めへの道、喜びの道のりです。
自分に失望し、自分にはできないと悟るからこそ、本当の意味で神様により頼むことができます。
そして、今日のみことばには神様の愛に満ちたメッセージが書かれています。
ギリシャ語の原語では「〜のようになる!」と宣言されている言葉から始まっています。ギリシャ語の特徴として、大切なことばから順番に並べるという特徴があります。
では一体、何のようになるのでしょうか。
それは、「天の父が完全なように、完全になる」ということです。
これが、「天の神が完全なように、完全になる」と書かれていないことに感謝します。
なぜなら、イエス様を信じる者のみ、神様を天の父と呼ぶことができるからです。これは信じられないほどの特権です。
神と父とは親密さが違います。
私たちは創造主なる方をイエス様のゆえに「父」と呼ぶことができるのです!
神様を父と呼ぶなら、私たちは何でしょうか。そうです。神の子です。
完全となるということは、イエス様の考えと同じような考えになることにより、天の父の子どもとなることができるということです。
■P:祈り
今日も私を愛してくださる天お父さん、信じる私たちを神の子どもとしてくださる考えられないほどの特権を心から感謝します。
私たちは天の父の愛を受けて、あなたに全信頼を置いてのびのびと成長していきます。考え方においては、いつまでも子どものままでとどまりません。
私の信仰と人格を、イエス様を目指して大人へと成長させてください。
そのために、今日、私にできることを教えて下さい。天の父が完全なように、私も完全なものとされます。
愛するイエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。
【 しゅん 】
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