■S:今日の聖書の言葉
マタイによる福音書4章1節

★さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。

■O:今日のコラム
荒野の試み、または荒野の誘惑と題される有名な箇所です。

神の御子イエス様が、悪魔の誘惑を受けられました。この世でただ一人、完全なお方、訓練を受ける必要のない方が、試みを受けられました。それはなぜでしょうか。

ヘブル書4章15節には、「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。」と書かれています。また、

「主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。」(ヘブル2:18)

とも書かれています。主が、あらゆる点で試みを受けられたのは、私たちをあわれみ、助け、導き、救い出すためでした。

多くのクリスチャンが、主は決してご自身の愛する子どもを苦しみに合わせることはなさらないと信じています。しかし、そうではありません。試練や苦しみは必ずやって来ます。「世にあっては患難があります」とイエス様ははっきりと約束されました。

神様は、なぜ試練や苦しみに会うことを許されるのでしょうか?なぜなら、試練は私たちの霊的成長にとって益になるからです。私たちは、試練や苦しみを通して、イエス様がそうであったように御父に信頼を置くことを学んでいくのです。主は、私たちの生活の快適さより、私たちの品性、内なる人に関心を持っておられます。

試みは、その人の内にあるものが現れる神のテストと言えます。私たちは試練の時に礼拝者かどうかが試されます。主は、快適な環境を与えたいのではなく、私たちが試練を通して礼拝者として整えられることを願っておられます。

終わりの時代、主は、弱々しく、軟弱な人々の群れを起こそうとしているのではありません。主のために困難を耐えることのできる軍隊を起こそうとしておられます。ですから、私たちの目の前にある困難、また、これから経験するかもしれない試練を恐れるのではなく、「困難を耐え抜く時別な恵みを主からいただく機会」、「私たちの品性、内なる人が造り変えられる機会」として、感謝して受け取りましょう。

「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。」(ヤコブ1:2〜4)

「愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚きあやしむことなく、むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜び踊る者となるためです。」(1ペテロ4:12,13)

■A:考えてみよう
困難の状況の中で、主を喜ぶこと、主に感謝を捧げること、主の恵みにより頼むことを学ぼう。

あらゆる状況の中で、礼拝者としていつも主の前に立ち続けることができますように。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ひさえ 】

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