■S:今日の聖書の言葉
創世記41章51節

★ヨセフは長子をマナセと名づけた。「神が私のすべての労苦と私の父の全家とを忘れさせた。」からである。

■O:今日のコラム
ヨセフは、兄弟たちに売られ、13年間奴隷として働き、やってもいないことで責められ、3年間を監獄で過ごし…様々な苦しみや試練を経験し、辛い状況や悪い状況を通ってきました。

しかし、今日の聖書の言葉にあるように、ヨセフは「神がそれらすべての労苦を忘れさせてくださった」と子どもに名前をつけるほどに、兄弟たちから苦しめられた記憶や通ってきたすべての労苦から神によって解放されたことをあかししています。

私たちも、人生の中で、主とともに歩む中で、それぞれ様々な苦しみや試練、葛藤を経験し、人から苦しめられたり、傷つけられた経験もするかもしれません。しかし、覚えたいのは、「主は私たちのすべての労苦を忘れさせてくださる」ということ、「主は私たちをすべての労苦や苦しみの記憶から解放してくださる」ということです。

主は目的なしに私たちを苦しみや試練に合わせることはなさらず、すべての苦しみや試練のときもいつも私たちとともにいてくださり、私たちが乗り越えられるように助け導いてくださいます。神様は真実な方ですから、私たちを耐えられないほどの試練に合わせることはなさらないからです。

主の御心は、私たちを苦しみの中にとどまらせて苦しませることではなく、私たちをすべての労苦や苦しみから解放し、私たちが主にある自由の中を生きることです。

私たちは必ず試練や苦しみを通りますが、主の助けと導き、恵みの中でそれらを主とともに乗り越え、主の癒しと解放を経験し、「忘れる」ことが大切です。

私たちがキリスト者としての喜びの道を歩み続けるためには、「自分自身について忘れる」ということはとても大事なことです。自分に起こったこと、自分がしてしまったこと、自分にされたこと、自分が苦労したこと、自分が我慢したこと、自分が傷ついたこと…これらのことを考えるなら、私たちは「自分」のことを考える者となり、人や自分や神をさばく者となり、真のへりくだりや主にある喜びを持つことができなくなります。

主ご自身が、私たちの罪を忘れてくださる方(イザヤ43:25)であるように、私たち自身も、人や自分がしたことや、自分に起こったことを忘れる必要があります。

試練や苦しみを通っても、「このようなことがあった、あのようなことをされた」ことを覚える必要はなく、私たちが覚えるべきことは、「どんな試練や苦しみのときも主がともにいてくださった」こと、試練や苦しみを通して「主が教えてくださったことや主が学ばせてくださったみことば」、試練や苦しみを通して経験した「主のご性質」です。

今日も私たちは、昨日まで自分がしてしまったこと、人が自分にしたこと、そして今日これから経験することも、主にあって「忘れる」ということを決心し、御前に進み出たいと願います。

■A:考えてみよう
忘れたい、忘れよう…と思っても忘れられない弱さが私たちにはあります。実際、忘れさせてくださるのは主であり、私たちの力ではできません。解放してくださるのは主であり、自分ではできません。

私たちが「忘れる」ために必要なことは、

(1)日々主とともにい続けること
(2)主にあるアイデンティティーに立つこと
(3)自分の罪の赦しを経験すること

です。

(1)日々、主とともにい続けること
私たちが何を考え、何を思い、誰のことばを握るかがとても重要です。聖書を読むと、「主はヨセフとともにおられた」ことが繰り返し書かれ、ヨセフが苦しみや試練を乗り越え、それらから解放され、忘れることができたのは、「主がともにおられた」からです。

私たちも自分の力では何をすることもできませんから、主とともにい続けて、主から癒しと自由と解放を受け取り、主が語ってくださることを思い続けることが必要です。

(2)主にあるアイデンティティーに立つこと
自分や人によって、自分の評価をしないということが大切です。 パウロはこのように言っています。

「しかし、私にとっては、あなたがたによる判定、あるいは、およそ人間による判決を受けることは、非常に小さなことです。事実、私は自分で自分をさばくことさえしません。 」(1コリント4:3)

 
私たちは人からさばかれ、評価される者ではなく、また自分で自分をさばくこと、評価することもしないようにすることも覚え続けたいと思います。私たちを評価し、さばく方は主だけです。

そして、主にある私たちのアイデンティティーは、主がしてくださったことによって決まっているのであって、私たちがしたことやされたことは関係ないことを覚え続けたいと思います。

自分自身の評価と私たちのアイデンティティーは関係ありません。人の評価や人の考えと私たちのアイデンティティーは関係ありません。私たちの犯した罪と私たちがしたことと私たちのアイデンティティーは関係ありません。

主の評価だけを受け取り、主のさばきだけを慕い求め、益々、主にあるアイデンティティーに堅く立つ者とされていきますように。

(3)自分の罪の赦しを経験すること
私たちは自分が傷ついたり、苦しめられると人をさばいてしまう弱さがありますが、私たちが人によって傷つくとき、私たちの心に間違ったものがある場合があります。私たちが傷つくのは、私たちの感情ではなく、私たちの自我・自尊心だからです。

私たちがまず正直に傷ついたことを主に告白し、癒しを受け取ることは大切ですが、その後に一番大切なのは、主からの取り扱いを受けることです。主からの取り扱いを受け、罪の赦しを通して、主からの真の解放を受け取る必要があります。

神様の深い慈愛と恵みの中で、自分の誤りを聖霊様によって認めさせられ、主の赦しと解放を受け取るとき、私たちは主が私の罪を赦し忘れてくださったことを経験するとき、私たちも主の恵みと愛によって、自分や人がしたことも赦し忘れることができるようになり、真の解放を受け取ります。

今日も私たちが主にとどまり続け、主にあるアイデンティティーに堅く立ち、主の愛と赦し、解放を受け取り、主の恵みの中で「自分自身について忘れる」歩みをしていくことができますように。

自分自身について忘れ、イエス様のことを思い続け、天にあるものを思い続け、主のみことばを思い巡らすことができますように。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ありさ 】

カテゴリー: マナメール

オンライン献金はこちらから。

大きな額の献金は手数料の少ない口座振り込みをお勧めいたします。

オンラインサポートの手順

一つのコメント


  1. ヨシコ より:

    今迄も辛い悲しい沢山ありました。クリスチャンになってもありました最近もえらいことになってました。そのたんびに。知らず知らずにわすれていますがやっぱり時間が必要ですね。神様に頼みお祈りをして。お祈りしたら、案外速く忘れられるかも。やってみようかなあ。

  • 最近のコメント

  • 新宿シャローム教会 大久保会堂


    〒169-0073 東京都新宿区百人町1-23-24アミューズ大久保ビル2F
    TEL 03-3371-7558
  • アーカイブ

  • カテゴリー