■S:今日の聖書の言葉
創世記39章1~3節
★ヨセフがエジプトへ連れて行かれたとき、パロの廷臣で侍従長のポティファルというひとりのエジプト人が、ヨセフをそこに連れて下って来たイシュマエル人の手からヨセフを買い取った。
主がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり、そのエジプト人の主人の家にいた。
彼の主人は、主が彼とともにおられ、主が彼のすることすべてを成功させてくださるのを見た。
■O:今日のコラム
ヨセフには主の臨在、主の祝福がありました。ダビデの時代に主の臨在の象徴である契約の箱がオベデエドムの家にありましたが、そのときに主はオベデエドムの家を祝福しました。それと同じ事がヨセフに起こったのです。
主の臨在を歓迎し、まことをもってお迎えするならそこには主の祝福があり、主を尊ばないところに主の臨在がやって来るならそれは厳しい裁きになります。インマヌエル(主は共におられる)という語は旧約聖書に二回登場しますが、イザヤ7章では救い主として、イザヤ8章では厳しい裁き主として描かれています。サムエル記でペリシテから帰ってきた契約の箱を、ベテ・シェメシュの人々は尊ばなかったので5万7千人が打たれ、礼拝者オベデエドムの家迎えられてからは、オベデエドムの家は祝福されました。
ヨセフはなぜこんなにも臨在と祝福があったのでしょう?この記事の前まで、ヨセフにこのような臨在、祝福はありませんでした。ヨセフに何があったのでしょう?
この前にあった出来事といえばヨセフが井戸に落ちて売られるという出来事です。これがヨセフのターニングポイントとなり、ここでヨセフは霊的に大きな成長を遂げ、主の臨在溢れる人物に変えられたのです。
エジプトに売られる以前、ヨセフは父に溺愛されていました。しかしエジプトに売られることになったとき、ヨセフが愛を求める対象は父ヤコブから、ヤコブから聞いていた天の父とならざるを得なかったのです。
その天の父との関係を求めるならば、ヨセフは兄弟に対して赦せない思いを捨てざるを得ないことをヨセフは父ヤコブから聞いて知っていたのです。
分かっていてもそれは簡単なことではありませんでした。井戸の底で泣き叫んで助けを求めるヨセフ。時間がいくらか経って穴から引き揚げらるヨセフ。「兄さんたちも悪かったと考えを変えたんだ」と考えていると、出てきた地上には見たことのない人々が兄たちにお金を渡している光景がそこにあります。状況を理解し「どこまで裏切るんだ!」という心を持ったままヨセフは縛られてエジプトまで引っ張って行かれるのです。
しかし、ヨセフは父の愛から離れて生きることだけはできませんでした。今や父と呼べるのは天の父だけです。父の愛を選ぶか?復讐心を選ぶか?ヨセフは兄たちを赦して父の愛にとどまることを選んだのです。
そうでなければ、「主がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり、そのエジプト人の主人の家にいた。彼の主人は、主が彼とともにおられ、主が彼のすることすべてを成功させてくださるのを見た。」(創世記39:2~3)は不自然です。「ヨセフにはいつも暗く、影のある青年だった。彼はいつも復讐心に燃えていた」となっているべきではないでしょうか?
赦しは恵みを受け取る基本姿勢です。赦さないなら赦されないのですから。赦しは愛することの基本姿勢です。赦さないまま愛の関係を結ぶことなど神でもなさならいのですから。
もちろん罪を犯す人を戒め、教え、諭すことは重要です。しかし御霊に満たされ赦しに満ちた心を持った人がする必要があります。
「兄弟たちよ。もしだれかがあやまちに陥ったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい。また、自分自身も誘惑に陥らないように気をつけなさい。」(ガラテヤ6:1)
サタンは人の赦せない思いを利用する策略をもっているのです。人に注意するときに最初は柔らかく(最初から激昂しているなら分かりやすいですね)注意していたつもりが自分の中にいら立ちと怒りが満ち満ちてくることを体験した事があるのではないでしょうか?
「もしあなたがたが人を赦すなら、私もその人を赦します。私が何かを赦したのなら、私の赦したことは、あなたがたのために、キリストの御前で赦したのです。これは、私たちがサタンに欺かれないためです。私たちはサタンの策略を知らないわけではありません。」(2コリント2:10~11)
その恵みの中で神の平安を持っている者は、どこにいても何をしていても祝福されている事が世間の人々にも分かってしまう程になるのです。ヨセフは奴隷であっても臨在があり、平安があり、祝福が満ちていました。牢獄に入れられてもです。
そして主と共にあることは霊的な成長を与えるので、ヨセフは霊的な賜物においても成長がありました。以前は幻を見ても解き明かしはできませんでしたが、主と共に歩むことを選んだヨセフは献酌官や調理官の夢を明確に解き明かす程に霊的賜物が開かれてきました。
後にはその霊的成長が彼をエジプトの宰相にする大きな要因となっていくのです。私たちも赦しを選び、主の平安にとどまることを選び取りましょう。
■A:考えてみよう
主の恵みにとどまるために赦しを選びましょう。心の中にわだかまりのある人がいるでしょうか?その人を赦す告白を主の御前でしましょう。復讐は神のすることなのです。
■P:祈り
私の心の中で苦味がある○○さんを赦します。あなたと共にいることの方が遥かに素晴らしいです。裁きは主にお委ねします。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
オンライン献金はこちらから。
大きな額の献金は手数料の少ない口座振り込みをお勧めいたします。