■S:今日の聖書の言葉
創世記11章4~9節
★そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」
そのとき主は人間の建てた町と塔をご覧になるために降りて来られた。
主は仰せになった。「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。
さあ、降りて行って、そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう。」
こうして主は人々を、そこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。
それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。主が全地のことばをそこで混乱させたから、すなわち、主が人々をそこから地の全面に散らしたからである。
■O:今日のコラム
創世記と黙示録はキアズム構造になっています。キアズムとはヘブル的な文学構造で対照に物事を配置する方法です。
分かりやすく言うと、聖書において、最初は天地創造ですが最後は新天新地です。その光景は創世記では、エデンの園の真ん中から四つの川が流れることですが、黙示録ではいのちの水の川が御座から流れます。創世記で安息日が定められ、黙示録で全き安息が訪れます。創世記でアダムとエバが結婚しますが黙示録19章では子羊の婚姻がもたれます。
洪水という神のさばきとノアの方舟の救いは、黙示録に最後の時代のさばきと携挙とつながっているということができるでしょう。創世記の11章で建てられるバベルの塔の話は、終わりの時代に建て上げられる花嫁なる栄光の教会とつながっているということができるでしょう。
バベルの塔は大バビロン、大淫婦であり、反花嫁、偽花嫁です。バベルで起こることが贖われて現代に起こることを信じます。それはキリストの血、十字架を通してなされるのです。
バベルでバラバラにされた言語は、現代において御言葉によって一つにされ、異言も言語の壁を超えて一致するために重要でしょう。バベルで散らされた民は、キリストにあって、御霊にあって一つのからだとされるでしょう。
バベルの塔は人の栄光をあらわすために天に届くかのように建てられました。しかし私たちは、神の栄光をあらわすために、天に属する建物として建て上げられるのです。私たちは霊的に建て上げられなければならないのです。キリストを受け入れて終了ではないのです。
人の計画によってではなく、主の計画に従って召された者として、神を愛し神の命令を愛をもって守り生きるならば(ローマ8:28はそれすなわち神の計画に従って召された者と言っています!)、私たちは神の手によって建て上げられるのです。
■A:考えてみよう
愛をもって神の命令を守る生き方に身を捧げましょう。主の御声を聞くことのために時間を聖別しひざまずき、それを行うために立ち上がるのです。
■P:祈り
主よ。あなたは素晴らしい計画を私に対してもっておられることを感謝いたします。その計画に、またその計画を成し遂げられる主に信頼します。あなたの御声を聞き、その御声に導かれて、あなたと共に歩んで行きます。どうぞ私を、私の霊的な家族を建て上げてください。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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