■S:今日の聖書の言葉
創世記30章43節

★それで、この人は大いに富み、多くの群れと、男女の奴隷、およびらくだと、ろばとを持つようになった。

■O:今日のコラム
私たちは皆、祝福を祈ってもらうことが好きです。年始に教会に集い、牧師先生に祝福を祈って頂く、、、素晴らしいことです!両親が、与えられた幼子を抱き、教会で祝福を祈って頂く、、、素晴らしいことです!

あるとき、イエス様に手を置いて祈っていただこうと、両親が子どもたちを連れてきました。弟子たちは拒絶しましたが、イエス様は受け入れて、子どもたちの上に手を置いて祝福されました。(マタイ19:13~15)

祝福を祈る(祈られる)ことは聖書的なことであり、否定されるべきものではありません。それどころか、私たちは「霊的祝福こそが、目に見える祝福に先立つものである」ことを、御言葉から知ります。(ヘブル11:3)

ヤコブはそのことを悟っていた人でした。すなわち、父イサクのかしこみ畏れる神が、父を祝福して、その手の業を栄えさせられるのを見て、「霊的祝福が、実際的な祝福となって現れる」という原則を知ったのです。(創世記26:12,13)

そこでヤコブは、兄エサウから長子の権と祝福を奪いました。(創世記25:29~34、27:1~40) 兄エサウは目に見えるもの、肉欲中心の生き方で、霊的なものを軽んじましたが、ヤコブは霊的祝福に目を留めていました。聖書は「エサウのような俗悪な者になってはならない」と戒めています。(ヘブル12:16~17)

さて、このように祝福を受けたヤコブが、その後どうなったか、、、それが今朝の御言葉の箇所(創世記29〜30章)です。

兄エサウの恨みを買ったヤコブは、無一物でひとり故郷を離れ、叔父ラバンのもとに身を寄せます。そこで彼は騙され、虐げられ、苦しみ、悩み、憤り、葛藤し、20年間働き通します。その間彼は十度も報酬を変えられ、欺かれたのです。(創世記31:7)

今朝の箇所では、ヤコブと二人の妻レア、ラケルとの間に12人の子が生まれる次第が書かれてあります。この様子は、何度読み返してみても、尋常ではありません。姉妹間の激しい妬み、対抗心、争い、奪い合い、、、その結果として、12人の子が生まれてくるのです。

ふつう、家族が形成されるプロセスは、夫と妻とが愛し合い、その愛の中で子が生まれてくる、、、でありましょう。もちろん、時代も環境も民族もまったく異なるので、一概には言えないにせよ、「ヤコブはラケルを愛したので(彼女と結婚するために)働いた7年間が、ほんの数日のように思われた」(創世記29:20)という位ですから、愛し合う男女の心情は当時も今も変わらないと思います。

ところが、実際にヤコブ家で起こったことは、争いに次ぐ争いです。12人の子は、その「ごたごたの家庭」の中で生まれてきたのです。兄エサウから2つの祝福を奪ったにもかかわらず、一体これはどうしたことでしょうか、、、?

主は確かにヤコブを祝福されました。

「それで、この人は大いに富み、多くの群れと、男女の奴隷、およびらくだと、ろばとを持つようになった。」(創世記30:43)

さらにのち、ヤコブはイスラエルという新しい名を与えられ、神の選びの民、イスラエル12部族の父となりました。これ以上の祝福があるでしょうか!しかし、ヤコブはその偉大な祝福を「苦難と共に」受けたのです。

「イエスは言われた、『よく聞いておくがよい。だれでもわたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、もしくは畑を捨てた者は、必ずその百倍を受ける。すなわち、今この時代では家、兄弟、姉妹、母、子および畑を迫害と共に受け、また、きたるべき世では永遠の生命を受ける。」(マルコ10:29,30 口語訳)

「正しい者には災いが多い。しかし、主はすべてその中から彼を助け出される。」(詩篇34:19 口語訳)

私たちは祝福を願いますが、その祝福は、自分なりのイメージであることがしばしばです。けれども、主が与える祝福は、ときとして、私が願うようなものではないことがあります。特に、主のために熱心に、忠実に生きようと努めてきたにもかかわらず、大きな苦難が襲ってきた場合、我々は主に対して失望しがちです。

「主よ、あなたのために、こんなに頑張ってきたのに、その報いがこれですか、、、」と思わずつぶやきたくなる、、、しかし、その時こそ、神の大きな使命が託されようとしているのです。

私自身の体験、また私が見聞きした範囲のクリスチャンですが、特に大きな苦難に遭う方には、特別な使命が与えられている場合が多くあります。ですから、もしも今、あなたが大きな苦難を通っているのでしたら、主の特別な使命があることを覚えて下さい。

そして、ますます主にしがみついて行きましょう。神がなされる業は常に最善のものであり、私たちの思いをはるかに超えて、大きな、深い、御計画であります。そのことを信じましょう。

「確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。」(第二テモテ3:12)

「このように、キリストは肉において苦しまれたのであるから、あなたがたも同じ覚悟で心の武装をしなさい。」(第一ペテロ4:1a 口語訳)

■A:考えてみよう
主は「私たちを試みに遭わせないでください」と祈るよう教えられました。ですから、自らあえて苦難を求めることは、聖書的ではありません。

けれども、主から祝福を「苦難と共に」受けるのであれば、私たちは喜んで忍耐しようではありませんか。そして、ひたすら主に拠り頼んで参りましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 よしかず 】

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