■S:今日の聖書の言葉
ルカによる福音書8章15、18節 (箴言8章)
★ 「しかし、良い地に落ちるとは、こういう人たちのことです。正しい、良い心で、みことばを聞くと、それをしっかりと守り、よく耐えて、実を結ばせるのです。…だから、聞き方に注意しなさい。持っている人は、さらに与えられ、持たない人は、持っていると思っているものまでも取り上げられるからです。」
■O:今日のコラム
イエス様はここで種と種が蒔かれた土地のたとえをもって、みことばと、そのみことばを受け取る心のことを話されました。これは伝道のことだけではなく、クリスチャンである私たちの聞く心の態度についても語られているように思えます。
道ばたに落ちる ― 神様の救いを信じているつもりでも、自分の行ないによって自分を正しい者としようと努力し、人もそのようにはかってしまう。みことばを持ち去られて、神のことばが何と言っているかに立ち返ることを忘れてしまう。
岩の上に落ちる ― 状況、環境に信仰が左右され、苦難が来ると主への信頼を失ってしまう。
いばらの中に落ちる ― みことばを信じていても、この世の楽しみ、毎日の心配事などに心が支配され、実が熟するまでにならない。成長して、変わることが出来ない。
イエス様は 「聞き方に注意しなさい。」 といわれました。
また 「正しい、良い心でみことばを聞くと…実を結ばせるのです。」 と言われました。
正しい、良い心でみことばを聞くようにするにはどうしたらいいのでしょう。
いつもいい子ちゃんで聞かなきゃいけない、とかそんな次元のものではありません。自分の力では出来ません。10年間教会に通ったら、誰よりも大きな声で賛美したら、自動的にみことばへの飢え渇きが増し加わり、良い心でみことばを聞くことが出来るようになるわけでもありません。(もちろん、そのどちらも主の目に尊いことですが…)
唯一、かたくなで弱い私たちをつくり変えることの出来るお方である聖霊様。その聖霊様と親しく交わり、祈る日々の時間の中で、私たちはみことばを聞くための良い心が耕されてゆきます。
愛する人の身長、体重や血液型よりも、その人の心の内にあること、その人が好きなもの、その人を喜ばせるものが何なのか知りたくなります。
みことばはただ単に、自分や誰かに役に立つ “良い教え” で終わってしまっては、もったいないです。
探し求める者だけに与えられる神の大いなる秘め事を、自分を愛してやまないお方からの個人的なメッセージを受け取りたい、という心をもって今日もみことばをひらきましょう。
また、飢え渇き、情熱を覚えない人は、御霊により頼み、自分の心をつくり変えて下さい、みことばに対する新しい飢え渇きを与えて下さいと祈り求めていきましょう。
■A:考えてみよう
自分の心は聖霊様によってよく耕されているだろうか。
みことばのたねは自分の心の中で芽吹き、生活の中での行動や自分の人格に “実” となって結ばれているだろうか。
聖霊様により頼んでゆこう!
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 みちる 】
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