■S:今日の聖書の言葉
創世記1章1節
★初めに、神が天と地を創造した。
■O:今日のコラム
マナメールをお読みの皆様、あけましておめでとうございます!今年も、主にあってこの努めに励ませていただきたいと思います。
2020年、マナメールを通してお一人おひとりが主に向かう機会となり、それだけでなく、それぞれがみことばを主からさらに受け取る者となりますようにお祈りいたします。
新しい一年、創世記から通読は始まりますが、その創世記は「はじめに」という言葉からスタートしていきます。この「はじめに」という言葉は、ヘブル語では「べレシート」と言います。そして、言語を一語一語見ていくと、ベレーシートとは、「神の御子がかしらである家が創造されていく」という意味があると以前に学んだことがあります。
聖書のはじめに、私たちがどこに向かっていくのか、その方向が確かに記されているのです。(聖書の終わりを見ても、神様は完成された園を設けられるという家の完成の話が記されているのが分かります。聖書には一貫性があるのです。)
私たちがみことばを読んで幸せを掴む、みことばを読んで祝福されるということだけがみことばの祝福ではないのです。それら個人的に体験することを超えて、主は私たちを神のかたちの家として建て上げてくださるという深い御計画の中へと導いてくださっています。
みことばに触れていれば、読んでいれば大丈夫という行いに満足したり、何か結果を得ることを目的としたりすることから、一歩進み、目的地を正しくセットし直す必要があることを覚えます。正しい目的地に向かって進む私たちでありますように。
私たちクリスチャンは、神の言葉によってこの天地創造がなされたことを信じています。
「すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。」(ヨハネ1:3)
そして完成された園を主は人間に治めるように命じられました。
「神である主は人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。」(創世記2:15)
これらは実際に起こったことでもあり、私たちの内においてもなされていくことなのです。私たちの内側に、神の言葉によって、神の御子がかしらである家が創造されていくのです。そして、私たちはこの、内なる園、宮、神殿を管理し、治める責任が主にあって与えられているのです。神の言葉に仕えて、言葉にあって自らを治めていく祭司としての働きです。
このことを知る時に、みことばを尊ばずにはいられなくなるのではないでしょうか。そして、私はどのようにみことばなる主にお仕えできるのか祈り求める時を持ちました。
・内なる宮をみことばで満たす
私たちのこの肉の体を見ても、人の体の水分量は60~70%であると言われていますから、体自体が水でできているのが分かります。みことばで、内側を満たすようにそもそも造られているのだと感じます。
私の思いが満ちるなら、全てが私の判断基準によって左右されてしまいます。しかし、イエスキリストの言葉が内に住まう時に、状況や、起こることに左右されません!心をいつも主が治めてくださるのです。心を何で満たすのかが重要です。だからこそ、ますますみことばを蓄えていく歩みを進めていきたいと願います。どれほど、みことばを蓄えた人が幸いであるのかを自分自身の生き方をもって知ってみませんか!
・内にある不純物を取り除いていただく
主の完成のかたち、かしらがキリストとなった家となっていくために、私たちはみことばにあって刺され、またそのみことばにあって建て上げられていかなければなりません。唯一私たちを裁くのはみことばであり、完全なかたちもみことばにあります。
「主のみことばは混じりけのないことば。土の炉で七回もためされて、純化された銀。」(詩篇12:6)
主のみことばが7回ためされたということは、7は完全さを意味しますから、完全であることを表しているのです。私たちも、何度も何度も、この言葉にあって訓練を受けていくことができますように。神の言葉が臨む、言葉がある所である荒野に身を置き続ける者となることができますよう
・真理が深められていく
主のみことばは一度読んで終わりではないのです。何度も読む中で、書かれている言葉から、その深さを知っていく喜びをみなさんも味わったことがあるのではないでしょうか。今知っている以上のものがあるのです。それを深めていくのは、みことばに仕える者としての責任です。
「巻き物を開くのにも、見るにも、ふさわしい者がだれも見つからなかったので、私は激しく泣いていた。」(黙示録5:4)
このマナメールを準備する中で、この言葉が何度も思い起こされ、涙をもって祈りました。主の巻き物は、まだまだ封じられていて、悟れないもの、見えないもの、聞けないものです。だから、悟らせてくださいと、もっとあなたのことを教えて欲しいと。
しかし黙示録を読んでいくならば、主にあってその巻き物は開かれていくことが分かります。分からない、悟れないところから、主が教えてくださることを信じます。もっと深くもっと確かに、主がかしらとなった読み方、理解が私の内に開かれていきますように。
「みことばの戸が開くと、光が差し込み、わきまえのない者に悟りを与えます。私は口を大きくあけて、あえぎました。あなたの仰せを愛したからです。」(詩篇119:130~131)
一年365日は、時間にすると8760時間になります。この与えられた一年も、たくさんの時間を主と共に過ごしたいです。朽ちていくことに時間を割き、心を置くのではなくて、朽ちない永遠に続くことに、この与えられた一年も捧げていきたいと願います!
■A:考えてみよう
共に聖書を抱きしめて祈りましょう。
・この一年間、通読のチャレンジをして、毎日みことばなるイエス様と共に歩むことができますように。(具体的に、どれくらい読むと決心して祈ることをお勧めいたします。)
・主がかしらとなる家が私の内でつくられていきますように。みことばによって私が砕かれ、主の願い、主にある理解が深まっていきますように。
・この一年、もっとみことばを通して、イエス様と出会うことができますように。
■P:祈り
愛するイエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 ゆうこ 】
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