■S:今日の聖書の言葉

ルカによる福音書15章31節(箴言15章)

★ 父は彼に言った。「子よ。おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。

■O:今日のコラム

今日の聖書の箇所は、とても有名な放蕩息子のたとえの箇所になります。イエス様はひとりの罪人が悔い改める素晴らしさの流れの中でこのたとえを話されていると思いますが、今日は、この話に登場する兄に注目してみたいと思います。

ここでは、父の二人の息子の弟が、突然父に財産の半分をくれと言います。そこで、父は財産を兄と弟二人に分けます。(12節)

すると、弟はその財産を持って出て行き、好き勝手して財産を使い果たしてしまいます。ついには家畜の餌を食べるほど惨めな生活をおくる中で、お父さんの所に戻ろうと決意します。そして、父のもとに戻った所、父は熱烈に歓迎してもてなしてくれました。

しかし、それを見て面白く無いのは兄です。「財産を使い果たして好き勝手して、なんでこんなに喜ばれるんだ!」とへそを曲げてしまいます。(28節)

そんな兄を、父はわざわざ出迎え、いろいろなだめてくれました。(29節)それにも関わらず、兄は不満を父にぶちまけます。それに対して、父は「私のものは全部おまえのものだ。」と言ってくれます。

さて、この物語の中で、一番不幸なのは誰でしょうか。僕は、この兄だと思います。兄は常に自分と他のものを比較していました。いわば、奴隷的な物の考え方をしていたのです。

だから兄は、いつも公平か不公平かを考えていました。つまり、自分中心の考え方です。もしそのような考え方を持っているなら、本当の神の恵みを理解することは難しいでしょう。

例えばみなさんも、教会で誰かが素晴らしい証をしているのを聞いた時、「なぜ神様はあの人を祝福して、私を祝福してくださらないんだ!」と嫉妬することはありませんか?

それは兄と同じ考えにとらわれている指標の一つです。そのような考え方を持ち続けているなら、絶えず自分と他人を比較し、自分の優っているところを見つけようとしてしまいます。そんな生活はとても窮屈で疲れてしまうものになるでしょう。

私たちの主は無限の供給を持っておられる方です。そして、いつも私たちのことを気にかけてくださっています。天の父の財産はすべて、神の息子・娘である私たちに相続されることになっています。この事実をつかみとりましょう。

もし、私たちが兄のようにへそを曲げてしまっても、神様はわざわざ私たちの所にまで来られ、なだめてくださり、励ましてくださいます。それを受け入れるか受け入れないかは私たち次第です。

私たちの国籍はどこにあるでしょうか。

そうです。天にあります。(ピリピ人への手紙3章20節)

私たちは王家の血筋を引く祭司です。(ペテロの手紙 第一 2章9節)

私たちは天国民です。であれば、この地の考え方を捨て、御国の考え方を身につける必要があります。

モーセはエジプトの奴隷としてではなく、王の側で王としての考え方を身につけたからこそ、イスラエルの民を奴隷から解放できたのではないかと思います。

今日のみことばにあるように、主はいつも私たちと共にいてくださり、願い求めるなら与えて下さる神様です。

主が私たちをどのような価値観を持ってご覧になっているか、神の国のアイデンティティをつかみとって、それにふさわしい考え方を身に着けていきましょう。

■A:考えてみよう

自分の中で、知らず知らずのうちに人と比較してしまっていることは無いでしょうか。もし私たちが御国の考え方を持っているならそのような考え方はしないはずです。

人を羨ましく思ってしまう時は、私たちの目線を主に向けましょう。天に満ち溢れている恵みに目を向けましょう。

主と共にこの小さなトレーニングを積み重ねていく中で、私たちは王としての考え方を自然と身につけ、御霊の洗いと更新によって、栄光から栄光へと神の似姿へと変えられていきます。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。

【しゅん】

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