■S:今日の聖書の言葉
ヨハネの黙示録19章7~8節
★私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。小羊の婚姻の時が来て、花嫁はその用意ができたのだから。
花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された。その麻布とは、聖徒たちの正しい行いである。」
■O:今日のコラム
今日の箇所は、誰もが最も待ち望んでいるゴールが書かれています。私もここに到達したい!と切に切に願っています。2019年がもうすぐ終わろうとしています。ゴールを目指して日々主を愛し、忠実に歩めたでしょうか?
2019年を振り返る時に、私は自分の隠れていた罪の性質が炙り出され、どこまでも自分は陰険で悪であることに気づかされる1年でした。決して自己卑下ではなく、事実であり、どうしようもないからこそ本当に主が必要で、主以外に解決は無いことを痛感しました。
また、自分が走りたいのに走れず、前進したいのに後退する経験も多くしました。その時に、自分の努力や行いによる義によって、ゴールを目指していたことに気づかされました。自分が聖書を沢山読み祈り順調な時は、主は私を喜び、逆に、聖書もあまり読めず祈れない時は、主は私に失望している。と、自分自身を裁いてしまいました。改めて自分の行いによる義によって、ゴールへ到達しようとする性質を再確認しました。
今日の聖書箇所で花嫁が着る麻布は、「聖徒たちの正しい行いである。」と書かれています。この「正しい行い」は自分の熱心や努力では決して着ることは出来ません。イエス様の十字架によって罪赦され、義とされ神の子とされた正しい身分に立つ必要があります。ここだけをとっても、何一つとして私から出る義や正しい行いは意味を無しません。
そして、私たちの助け手であられる聖霊様により頼み、血潮によって造り変えられる中で御言葉を愛する歩み、御言葉と一つとされる歩みをすることができます。
「あかしするものが三つあります。御霊と水と血です。この三つが一つとなるのです。」(1ヨハネ5:7~8)
それは、ただただ主の恵みであり、あわれみです。私たちの力や義ではありません。
「しかし、イスラエルは、義の律法を追い求めながら、その律法に到達しませんでした。なぜでしょうか。信仰によって追い求めることをしないで、行いによるかのように追い求めたからです。彼らは、つまずきの石につまずいたのです。」(ローマ9:31~32)
2019年を振り返りながら、自分自身に失望する気持ちや、もっと出来たのではないか?と後悔が押し寄せてきます。しかし、礼拝のメッセージの中で励ましを受けました。「キリストにある生き方は、上を見ることです。主の真実さ素晴らしさを見ることです。また、古いものを後ろに投げやる生き方です。現状がどうであれ、」御言葉を宣言し自分が何者であるか告白することです。」
このメッセージを聞きながら涙が出ました。私が見るべきは、後ろではなく主ご自身だ!と、また私の現状はどうしようもないけれど、聖霊様に信頼するなら必ず御言葉が言う本来あるべき姿へと変えられていく。と励ましを受けました。
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(2コリント5:17)
もう一度、今いる地点から主を見上げ、主に信頼し、現状を超える御言葉を告白して進もうと決心しました。主の恵みは、朝ごとに注がれ、私に十分であることを覚えます。また、自分の行いによる義でゴールを目指すのではなく、聖霊様と共に信仰によってゴールを目指したいと願います。
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」(ヘブル11:6)
■A:考えてみよう
・どのようにゴールを目指しているでしょうか?
・何を見つめているだろうか?自分の足りなさでしょうか?過去の失敗でしょうか?今一度、主を見上げて今いる所から進みましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 おりえ 】
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