■S:今日の聖書の言葉
ゼカリヤ書11章12節

★私は彼らに言った。「あなたがたがよいと思うなら、私に賃金を払いなさい。もし、そうでないなら、やめなさい。」すると彼らは、私の賃金として、銀三十シェケルを量った。

■O:今日のコラム
このゼカリヤ11章に出来る牧者は、この世の終わりに登場する偽キリストの姿です。そして、羊の群れはイスラエルの民の象徴です。

私たちの罪というのは、神様から離れ、神様から自由になろうとします。ですから、自分の方から悪い羊飼いを求めて、その悪い羊飼いに従ってしまうということがあります。しかしそれは、滅びへの道を歩む事となります。

ですから神様は、悔い改めなさい、私の方へと方向転換しなさい。と言われるのです。私たちの神様は、悔い改める必要のない九十九人の正しい人を残してでも、いなくなった一匹を見つけるまで捜し求られるお方である事を感謝します。私たちは、探し求めてくださる神様の声を聞く者となりましょう。

この箇所には、「慈愛の杖」と「結合の杖」という二本の杖で羊を飼おうと怒力する羊飼いが出てきます。慈愛の杖は、恵み深いことの象徴で、羊を一つにまとめる真の牧者の象徴です。しかし、その努力はむなしく、神様は二本の杖を折られました。神様はイスラエルもユダも守られませんでした。なぜなら、真の羊飼いの努力を彼らが安く見積もったからでした。いくらで見積もられたかというと、銀30シェケルに見積もられたのでした。これは奴隷を売る時の値段であり、侮辱的な安さ、ほとんど何の価値もないと見なされたという事です。

この箇所は、イスカリオテのユダが、ユダヤの指導者たちと取り引きして、イエス様を売ったことが預言されているのです。

「そのとき、イエスを売ったユダは、イエスが罪に定められたのを知って後悔し、銀貨三十枚を、祭司長、長老たちに返して、『私は罪を犯した。罪のない人の血を売ったりして』と言った。しかし、彼らは、『私たちの知ったことか。自分で始末することだ』と言った。それで、彼は銀貨を神殿に投げ込んで立ち去った。そして、外に出て行って、首をつった。」(マタイ27:3~5)

ユダはその後、イエス様を売ったことを後悔して、銀貨を返しに行くのですが受け取ってもらえず、神殿に投げ込んで、首をつって死んでしまいます。ユダは、銀貨三十枚でキリストを売りました。神様はゼカリヤを通して解き明かしています。そのお金は贖いの代価でした。ユダが自分の霊をサタンに売った値段でした。

「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。」(1コリント6:20)

イエス様が私たちの罪のための代価となったあの十字架に目を向けていきましょう。イエス様が真の牧者、「慈愛」と「結合」をお与えくださる牧者である事を信じ宣言していきましょう。

■A:考えてみよう
自分中心で価値を見積もっていないだろうか。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 てる 】

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