■S:今日の聖書の言葉
ヨハネの黙示録7章13~15節
★長老のひとりが私に話しかけて、「白い衣を着ているこの人たちは、いったいだれですか。どこから来たのですか」と言った。
そこで、私は、「主よ。あなたこそ、ご存じです」と言った。すると、彼は私にこう言った。「彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。
だから彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えているのです。そして、御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られるのです。
■O:今日のコラム
私たちは白い衣を与えられる者として召されています。シミや傷のない真白な衣をまとってこそ主の御前に出て行くことができます。
それは信仰に入ったら自動的に与えられるものではありません。招かれる者は多いが選ばれる者は少ない(マタイ22:14)のです。その衣を小羊の血で洗って白くするのは私たちなのです。
その者の特徴として昼も夜も御前で仕えていることが書かれていますが、彼らは突然そのときに絶え間ない礼拝者に変身したのではなく、この地上にいる時からいつも神を礼拝する者でありたい、もっと御側で、もっと純粋に神を愛する者となりたいと願っていたが故です。
それゆえに衣のシミ、つまり自分の汚れを十字架に持って行って、キリストの血の力を宣言し、洗いきよめられることを求め続けるのです。
大好きな人と会うのに、汚いカッコで会いたいと思う人はいないでしょう。主とお会いするのです。そしてどれだけきよめられたか?はどれだけ主の近くで仕えることができるか?なのです。日々、イエス様の十字架の恵み、血の力にあずかりましょう。
■A:考えてみよう
毎日、自分の罪の汚れを洗いきよめていただくために、キリストの十字架の前に進み出て告白し、キリストの血の力にあずかりましょう。十字架には、罪と私たちを分離する力があります。
■P:祈り
私の汚れをありのままに告白します。私の罪の汚れを洗いきよめ、贖うのは主の十字架から流れる血潮による以外にないことを信じます。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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