■S:今日の聖書の言葉
テモテへの手紙第二1章7節
★神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。
■O:今日のコラム
「おくびょう」とは、別訳の聖書には「神よりも他のものを恐れること」と記されていました。黙示録21章には神の国を相続する者と、第二の死について記されていますが、裁きを受ける者のリストの最初に「おくびょう者」と記されているのは注目すべきことです。(黙示録21章8節 参照)
「おくびょう者」の次には「不信仰の者」と記されていますが、この二つの性質はセットとなって働きます。私たちが神よりも問題や悩み、敵や必要を大きく見るようになる時、おくびょうの霊が私たちを支配するようになり、不信仰の力がそこに働くようになります。
約束の地を偵察に行った12人の斥候の内、10名はカナンの地にいる敵の大きさに目を留め、自分たちがいかに弱く、イナゴのように小さい存在であるかを告白し、泣き叫びました。その結果、全イスラエルがおくびょうの霊に支配され、彼らはその不信仰の故に約束の地に入ることが出来ませんでした。
このことを大切な教訓として覚えたいと思います。家族の会話でも、教会の兄弟姉妹同士の会話、その他様々な人々との会話の中で問題や批判、否定的な話題を話し始めるとその場が重く、苦しくなることを経験することがあります。これは私たちの会話の内に働く霊的な力です。暗闇の力は私たちの口を奪い、その不信仰の言葉を足台として働くのです。
そんな中で主を賛美し、主の偉大さを宣言し、主の素晴らしさを告白するなら、主の臨在に満たされ、重い不信仰の空気が信仰の空気へと変えられて行くことを経験します。
もちろん信仰とは問題や必要を見ないことではありません。しかし、その問題や必要を超えて全てを治めておられる主に目を留める時、信仰の歩みがそこから始まって行きます。
「神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。」
力はギリシャ語で「デュナミス」
主イエス・キリストを死者の中から復活させた爆発的なよみがえりの力です。
愛はギリシャ語で「アガペー」
何の欠けも無い神の完全な愛です。
慎みは「ソフォロニモス」というギリシャ語が使われており、この語句が聖書の中で使われているのは唯一この箇所だけです。これは日本語の別訳では「思慮分別」や「自制」とも訳されています。
私たちの内に住まわれる聖霊様はこのようなお方です。それなのでおくびょうや不信仰の思いがやって来る時、事実を超えた真実を告白しましょう。
「私の内には力に満ち溢れた聖霊様がおられる。」、「私の内には聖霊様を通して神の完全な愛が働いている。」、「聖霊様は私に慎みとへりくだり、思慮分別と自制を与えて下さる。」と、御言葉に基づいて真実な信仰の言葉を告白しましょう。
■A:考えてみよう
今日の御言葉を4回朗読し、この約束に基づいて信仰の告白をしましょう。
「神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。」(2テモテ1:7)
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しんご 】
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「死者の中から復活させた爆殺的なよみがえりの力」ではなく、「死者の中から復活させた爆発的なよみがえりの力」でしょうか。
富田先生、いつも、マナメール、感謝します。
ご指摘いただきありがとうございました。
文字を修正いたしました。