■S:今日の聖書の言葉
箴言7章22節(ルカによる福音書7章)
★ 彼はほふり場に引かれる牛のように、愚か者を懲らしめるための足かせのように、ただちに女につき従い、
■O:今日のコラム
ここで出てくる彼とは、「ことばのなめらかな見知らぬ女」に誘惑をされ、その誘惑に負けてしまった、わきまえのない思慮に欠けた人のことですが、その人のことを「ほふり場に引かれる牛」と例えています。
牛ってどんなイメージがありますか?
牛は力の象徴だって言われていますよね。普通、ほふり場に連れて行かれるって悟った牛も抵抗すれば、力があるので、そんな簡単に引かれていかないはずです。けど、ここでは、弱々しく従っている姿が描かれています。
この姿、それは、力のある大男でも(男じゃなくても)、この世の誘惑に陥るとき、弱々しく死に下っていることを表していると思います。本当は力があり、揺るぐことがないように見える牛であるはずなのに、誘惑に負けるとき、抵抗する力もなく、ただ、ほふり場に引かれていくのです。
私たちのうちに聖霊様が満ちていれば、本当は力強いはずですが、この牛のように、世の誘惑-それは悪口を言いたくなったり、批判したくなったりすることも含まれると思います-に負けてしまいそうになることが沢山あると思います。私自身そうです・・・
では、どのように打ち勝っていくのでしょうか?
それは、日々、新しくイエス様の血潮を受け、新しく聖霊の力に満たされることです。
私たちが誘惑に陥り、抵抗できないときに、死ぬべき私たちのために、死んだのが、イエス様。
イザヤ53章7節に出てくるイエス様の姿、それは「ほふれ場に引かれて行く羊」です。
牛と違って、羊は抵抗しても弱いので、黙ってその死を受け入れないといけません。イエス様は私たちの為にその羊となったのです。本当は力のある方であるにもかかわらず、弱々しい羊の姿をとって、ほふり場に引かれていったのです。
しかし、彼は、弱々しい羊として誘惑に負けたのではありません。子羊としてほふり場に引かれていきましたが、彼の終わりは「死」ではなく、「永遠のいのち」でした!!それは、彼が誘惑に打ち勝ったから!!!
そんな死を打ち破ったイエス様の力強い血潮を今日も受け、また、私たちのうちにおられる聖霊様に満たされて、誘惑に満ちたこの世で勝利から勝利へと歩んでいきましょう。
■A:考えてみよう
イエス様の贖いを今日もう一度覚え、感謝し、その血潮を受けていきましょう。そして、聖霊に満たされるため、聖霊様と交わる時間を持ちましょう。
■P:祈り
イエス様、あなたが抵抗することもできない子羊の姿となり、誘惑に負け、死に下ろうとしていた弱々しい牛のような私の為に死んでくださりありがとうございます。今日、あなたが流されたその血潮をもう一度受け取ります。
そして、聖霊様、今日も私を満たし、全ての誘惑に打ち勝っていくことができるように助けてください。
わがたましいよ、目を覚まし、聖霊様の声に耳を傾け、従って!!
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 かよ 】
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