■S:今日の聖書の言葉
コロサイ人への手紙3章16節

★キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美の霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。

■O:今日のコラム
今週に入り、コロサイが通読箇所となっています。通読の中で、コロサイの教会には、知識、文化に基づくグノーシス主義、ユダヤ主義、宗教的な考え、といったみことばに基づかない教えが満ち溢れていたことが分かります。

「あのむなしい、だましごとの哲学によってだれのとりこにならぬよう、注意しなさい。それは人の言い伝えによるもの、この世の幼稚な教えによるものであって、キリストによるものではありません。」(コロサイ2:8)

だからこそ、2章まででパウロは、コロサイの教会に対して、「キリストのなかに」、「キリストのうちに」、「キリストにあって」、とフレーズを変えて何度も同じようなことを繰り返しています。今日の3章の箇所では、「キリストのことば」を豊かに住まわせなさいと書かれています。聖書はつながった話をしていることを覚えます。

私たちは何を内に住まわせているでしょうか?キリストのことばよりも、誰かのことば、自分のことば、世の考え、また時には、みことばのように思えても自分が作り出した混ぜ物のあることばに支配されているように感じます。

神様の言葉のように見えて、私が好む、人に受け入れられやすいような考え、時代に合うような言葉が満ちてしまっているということが実際にはおこっているのです。

「というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分のつごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分のために寄せ集め、真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。」(2テモテ4:3~4)

しかし、神の言葉によってこの世界のすべては造られました。そのことを思う時、神の言葉はDNAのようなものであると思わされます。ですから、言葉を変えていくならば、まるでDNAを操作するようなものとなり、生まれてくるものが変わってきてしまうのです。言葉を持った私たちは日々、仕える者へ、へりくだる者、愛の人格を持つもの、と変えられていくべきです。しかし言葉自体を変えるならば真理は真理ではなくなってしまうことを心に留めたいと思います。

ですから、わざわざ自分や人に受け入れられやすいように言葉を調理した物とするような、神様の言葉の価値を引き下げてしまうことから、むしろ、この言葉を誇り、言葉として受け取ることができるように求めるべきであるという深い迫りがやってきます。

主がうわべでなく心を見られるお方であるのは、動機や状態を見ておられると同時に、その心に神の言葉があるのかを見ておられるのだということを思います。ダビデは正直な心があったと同時に、詩篇を読むならば、神の言葉を内に住まわせていた者であることが分かります。

何度も神様のみことばに支えられ、慰められ、強められることを神様がそれぞれの生活の中で体験させてくださっていると思います。そのことを経験する度に、私たちはより一層、神の言葉を恐れる心、ただ純粋な主のみことばを内に置く心をいつも持ち続ける者でありたいと願います。

そしてそのような心はまさに初代教会の人々が持っていた心であると思います。今日の箇所から、初代教会では、食卓の交わり、聖書の研究や解き明かし、聖霊に導かれた賛美と祈りがなされていたと以前に学んだことがあります。

食卓の交わりというと、食事会などをイメージしますが、主の食卓で私たちは、みことばの糧をいただくのです。その中で、みことばが尊ばれ、深められ、真理を悟るからこそ、祈りと賛美が満ち溢れていく。神様が造られた教会の姿を見る時に、神様によって集められ、神様にいたるように造られていたことに気づかされます。

私自身、スモールグループを持つ中で、その恵みを味わっています。近況を分かち合ったり、美味しいものを食べに行ったり、楽しい時間を共に過ごしますが、それで終わりでなく、またそれが目的ではないのです。それぞれの証を聞くと主への感謝が沸き上がり、葛藤や涙を見る時にそのことのゆえに主の前に立ちとりなし祈ります。何より互いのみことばの分かち合いや、シェアを聞く中で、みことばが深まり、飢え渇きが生まれていく恵みがあるのです。

学生の頃は、同世代が少なく、神の家族の交わりを祈り求めていましたが、私の場合、もしも、早くから与えられていたら、人にフォーカスしてしまう私は、その交わりをただ楽しいもの、としていたかもしれないなと思わされます。

しかし、神様につながる中で与えられた神様の家族は、互いのためにある関係でもあり、それ以上に神様を愛し求めていくために与えられた、どこまでも、主が真ん中にいるというものなのだと学んでいます。そして、主につながる中だからこそ、お互いに対する関係も深まっているのも感じています。神様が与えて下さった、愛する神の家族と愛する神様を求められるのは何と幸せなことでしょうか。

最後に、今日の箇所の前半部分を詳訳聖書で見ると、「キリストのことばをあなたがたの心情と知性の中に宿らせ、あなたのうちに豊かに住まわせなさい」と書いてありました。お母さんのお腹に赤ちゃんが宿った時から、お母さんはまだ赤ちゃんを見ていなくても、内にあるいのちを大切にし、その子を愛し、優先し、守り抜きます。お母さんの尊い働きです。そこには大きな葛藤や苦難もあると思いますが、同時に、母としての喜びと使命があるのではないでしょうか。

同じように、私たちも、神様が宿してくださる言葉を、大切に大切に尊び、また守り、深めていきたいと願います。見えない働きですから、それを自分の使命を受け取ることはなかなか難しいかもしれません。しかし、主がみことばを置く所として、私を、教会を選んでくださったことに感謝が溢れます。

■A:考えてみよう
・十字架の言葉を、尊ぶことができますように。私たちクリスチャンがみことばを尊ばなくて、他に誰がこれを尊ぶのでしょうか。純粋な神のことば以外のものを内に宿してしまっているならば、神様がその種を取り除いてくださり、主と交わる中において、主が宿してくださる種を内に蒔くことができますように。

「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。それは、こう書いてあるからです。『わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしくする。』知者はどこにいるのですか。学者はどこにいるのですか。この世の議論家はどこにいるのですか。神は、この世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。」(1コリント1:18~20)

・今日のコロサイ3章16節のみことばを宣言し、神の家族との交わりの真ん中にいつも神様がいてくださり、ますます、キリストの言葉を互いに語り、深めていく関係となるように祈っていきましょう。

■P:祈り

愛するイエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ゆうこ 】

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