■S:今日の聖書の言葉
ミカ書5章7節
★そのとき、ヤコブの残りの者は、多くの国々の民のただ中で、主から降りる露、青草に降り注ぐ夕立のようだ。彼らは人に望みをおかず、人の子らに期待をかけない。
■O:今日のコラム
「…彼らは人にを望みをおかず、人の子らに期待をかけない。」
今日のこのみことばの箇所にあるこの言葉を、今日心に覚えたいと思います。私たちは人に望みを置かずに、人に期待する者ではなく、絶えず主に望みを置いて、主に期待する者になりたいと願います。
ミカ書5章7節の前半部分には、「そのとき、ヤコブの残りのは者は、多くの国々の民のただ中で、主から降りる露、青草に降り注ぐ夕立のようだ。」と書かれています。ミカ書5章を見ると、「そのとき」とは終わりの時のことであることが分かります。また「ヤコブの残りの者」は「神に忠実な者たち」のことです。つまり、終わりの時代に生きる私たち、神様に忠実でありたいと願う私たちに対する言葉であることを受け取りたいと願います。
終わりの時代に、神に忠実である者たちはどのようになるのでしょうか?それは、主から降りる露、青草に降り注ぐ夕立のように、国々の民のただ中に主の恵みが流れ出る管となっていくということ、私たちを通して主の恵みがあらわされていくということです。私たちに主の大いなる恵みが豊かに注がれるだけでなく、私たちを通して主の恵みがあふれ出るほどになっていくのです。現代訳の訳を見るとわかりやすく書かれています。
「その時、最後まで主に忠実な者は、諸国民の中で主の恵みを表す。彼らは人に期待することが無くなる。」(ミカ5:7 現代訳)
私たちには主の恵みが今日もいつも必要です。初代教会に注がれていたような豊かな恵みが、終わりの時代に生きる私たちにも、更に豊かに注がれるようになることを信じます!私たちの上に主の恵みが豊かに激しく注がれ、主の恵みによって強められ、主の恵みによって前進していくだけでなく、主の恵みが私たちを通して国々にあらわされ、あふれ流れるようになっていきます。
そのように、この終わりの時代にあって、最後まで主に忠実な者でありたい、そして滝のように注がれる主の恵みを経験する者、その主の恵みにより頼む者となり、主の恵みをこの地にあらわす者となりたい、と心から願います。
最後まで忠実である者、主の恵みにより頼み、主の恵みをあらわす者の特徴とは何でしょうか?それが、7節の後半に書かれている「人に望みをおかず、人に期待しない者」=「主だけに望みをおき、主に期待する者」です。
主の恵みは、主に信頼する者のまわりを取り囲み、主を待ち望む者に注がれます。(詩篇31:10、33:22)
主だけに望みを置くということは、人にも自分にも状況にも、私たちが持っているものにも、主以外のどんなものにも望みを置かないということです。目に見える望みは望みではないので(ローマ8:24)、「主に望みを置く」ということは、目に見える「状況」は一切関係ありません。自分の状況がどうだったとしても、周りの状況がどうであっても、目に見えることに関係なく、「主に望みを置く」ことを日々選択することが大切です。
困難や試練の真っただ中、自分や状況に失望するようなとき、目に見えるものに希望が見いだせない状況のとき、状況が変わらないとき、祈りの答えが見られないようなこそ、いつも「主に望みを置く」ことを選択し、主に信頼し続ける者でありたいと願います。
今日も詩篇にある通り、主が私の望みであることを告白し続け、主に望みを置き、主に期待して、歩むことができますように。
「主よ。今、私は何を待ち望みましょう。私の望み、それはあなたです。」(詩篇39:7)
■A:考えてみよう
今日、主だけに望みを置き、主だけに期待することを、主に告白しましょう。
「主だけが私の望みです」と主に告白し、今日も主の恵みにより頼み、主に信頼して歩めますように、祈りましょう。
「どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように。」(ローマ15:13)
■P:祈り
主よ、あなただけが私の望みです。あなたに望みを置き、あなたに信頼します。どうか、望みの神が、私を信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 ありさ 】
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アーメン!