■S:今日の聖書の言葉
ヘブル人への手紙9章22節
★それで、律法によれば、すべてのものは血によってきよめられる、と言ってよいでしょう。また、血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。
■O:今日のコラム
今日の箇所を通して、私たちの罪が赦される方法はただ一つ、イエス様の十字架の贖いだけであることを知ることができます。
私たちの努力や、熱心さによって罪がきよめられるのではなく、イエス様が成された十字架の贖いの事実に信仰を置き、実際に口で罪を告白し、悔い改める時に罪が赦されるのです。しかしながら、過去に悔い改めたのにも関わらず、また同じ罪を犯し失敗してしまいます。そのようなときに私たちは、イエス様の十字架に対して疑問を抱いてしまう事があります。
果たしてイエス様の十字架の血潮には、罪を赦す力が無いのでしょうか?そんなことはありません。神様は人類にイエス様の十字架以外に救いの道は与えていません。では、なぜ繰り返し同じ罪を犯してしまうのでしょうか?
それは、人間の罪がそれ程深く、何度も悔い改めをしていかなければならないものだからです。だから悔い改めは一生し続けなければならないのです。逆に言えば、この地上で生きる限りイエス様の十字架が無ければ生きていく事ができないということです。人間は絶えず十字架が必要であり、片時も手放すことはできないものなのです。
何度も悔い改めても、さらに深い部分に眠っている罪が顔を出し、私たちを苦しめます。大切なことは、諦めないで悔い改め続けるということです。無限に出てくるように思える自分の罪深さに負けてしまい、イエス様の十字架に対してあきらめてしまったら、私たちは終わりです。何度でも何度でも、罪を犯した度にイエス様の血潮を宣言して祈りましょう。
イエス様は命を懸けて私たちに十字架による悔い改めの道を開いてくださいました。悔い改めによって、神様との関係がさらに深いものとなり、主の深い臨在の中に入る事が可能になります。
もっと深くイエス様の素晴らしさ、麗しさを味わう為には悔い改めがどうしても必要なのです。恐れが動機ではなくて、主との関係がより深いものとなる為に、私たちは絶えず、悔い改めに導かれていくのです。
今日もイエス様の十字架の御業に感謝して歩んでいきましょう。
■A:考えてみよう
何度も悔い改め祈ってきたが、変わらない自分自身の性質に直面したことはあるでしょうか?そのような性質に直面したならば感謝しましょう。さらに祈り続けましょう。神様の栄光を仰ぎ見る機会が用意されているからです。
■P:祈り
愛するイエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン。
【 あきひろ 】
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