■S:今日の聖書の言葉
ヘブル人への手紙3章18~19節

★また、わたしの安息に入らせないと神が誓われたのは、ほかでもない、従おうとしなかった人たちのことではありませんか。
それゆえ、彼らが安息に入れなかったのは、不信仰のためであったことがわかります。

■O:今日のコラム
「イエスの血潮を宣言する祈り」の最初の部分で、「信仰を持っている人なら誰でも自分の生活や人生に関して預言することができます。」と書かれています。国家、民族に対しての預言をするには、そのための特別な召しがなければできませんが、感謝なことに私たちは少なくとも自分の人生に対して預言者の働きをすることができます。

預言者とはどのような働きをするでしょうか?人は預言というと『将来を言い当てる』といった事柄をすぐに思い浮かべますが、それはどちらかというと占いに近いものがあります。

旧約聖書の預言者たちは、神からのみことばを受け取って、どのようなことを人々に語ったでしょうか?なかには、神からの励ましや約束もたくさんありましたが、預言者の語った内容の多くは神からの警告です。人々が聞きたくないような警告であっても、嫌われ、迫害され、馬鹿にされ、怒りを買うのを覚悟で、彼らは神からの警告を語っています。

また、新約聖書の内容の多くは警告であることを皆さんはお気づきでしょうか?
新約聖書には誰に向けて書かれたものでしょうか?イエス様を知らない世の人々に対して書かれたものではなく、キリスト者である私たちに向けて書かれたものです。

意識して読むときに、その内容の多くは「信仰を失わないように」「信仰の戦いを貫くように」「暗闇に騙されてしまわないように」「誘惑に負けないように」といったような警告が何度も出て来るのを見つけることができるでしょう。

今日の箇所にも、漏れなく警告が含まれています。パウロは出エジプトしたイスラエルの民が、不信仰のゆえに安息の地に入れなかったように、霊的な出エジプトした私たち、つまり罪の奴隷の状態から、キリストを信じることによって神の子とされ罪から自由にされた私たちが、不信仰のゆえに永遠のいのちを失うことがないように、と警告してくれています。

19節には「彼らが安息に入れなかったのは、不信仰のためであったことがわかります。」とありますが、詳訳聖書においては「彼らが安息に入れなかったのは、神につき従おうとせず、より頼もうとしなかったため。」と書かれてあります。

今日の警告は、「神の民が、神の約束された安息に入れなかったのは、神に従わなかったことが原因である」ということです。この警告は、皆さん、すでに何度も耳にされているかもしれません。

けれども、冒頭でも述べましたが、私たちは自分自身の人生に対しての預言者となることができます。私たちは、日々、御霊に従い、神ご自身であるみことばを心に刻むと同時に、時には自分のたましいに対して励まし、また「警告」を語る必要があります。今日のみことばから、「神に従わない者は安息に入ることができない」という真理を、自分のたましいに警告したいと願います。

預言者として、神の警告を自分に語ること、それは決して、やたらめったらに自分を罪に定めることではありません。あくまでもみことばと自分の歩みを照らし合わせ、そして御霊の御声に敏感になる耳、へりくだった心をもつようにすることによって、神からの正しい警告を受け取ることができると信じます。

先週、第3礼拝のメッセージにおいても語られました。
「私たちは、自分の思いで始めた事であるにも関わらず『神様のためにやってるのに、神様、なんで祝福してくださらないんですか?!』と神に怒ってしまうことがあります。その願いが自分から出たものなのか、神からのものなのか、私たちは自分自身の動機を吟味する必要があります。」と。

自分自身の証しになりますが、先日も「さあ、みことばを読もう」とする度に、家族からの何かしらの要求によって、それが何度も中断され、次第に自分の中に苛立ちが湧くのを覚えました。しまいには、イライラしながらみことばを読んでいる始末です。みことばの朗読自体は正しいことですが、『果たして、その苛立つ心を主は喜んでおられるだろうか。』と御霊が気づかせてくださり、悔い改めました。

「いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。」(マタイ7:14)と主イエス様ご自身も警告してくださっています。その門は小さく、その道は狭いので私たちは簡単に、「神の御心」という的を外してしまいます。

日々の歩み、内なる人の人格、心の動機を見張り、神からの励ましを受け取り、また時に神からの警告を受けとり、それを自分の人生に宣言する預言者となることを祝福します!

「自分を預言者、あるいは、御霊の人と思う者は、私があなたがたに書くことが主の命令であることを認めなさい。」(1コリント14:37)

「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。偽りを言う口をあなたから取り除き、曲がったことを言うくちびるをあなたから切り離せ。
あなたの目は前方を見つめ、あなたのまぶたはあなたの前をまっすぐに見よ。あなたの足の道筋に心を配り、あなたのすべての道を堅く定めよ。右にも左にもそれてはならない。あなたの足を悪から遠ざけよ。」(箴言4:23~27)

■A:考えてみよう
日々、自分の心を見張っているだろうか?みことばから自分のたましいに警告することがあるだろうか。

■P:祈り
愛する天の父よ、今日もみことばが与えられていることを感謝します。今日も御霊の助けがあることを感謝します。
旧約聖書の時代に、人々が自分の耳心地のよい偽預言を好み、耳に痛い真実な預言者をしりぞけたのと同じ過ちを繰り返すことがないように、主よ、聖霊様、私がへりくだって、神のことばを受け取ることができるように助けてください。
みことばを通して、与えられる警告を感謝します。私が的を外れたまま、右や左にそれたまま進んでしまうことがないように、気付きを与え、悔い改め、あなたへと立ち返る機会が日々与えられていることを心から感謝します。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 みちる 】

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