■S:今日の聖書の言葉
ヨハネによる福音書18章6節

★イエスが彼らに、「それはわたしです。」と言われたとき、彼らはあとずさりし、そして地に倒れた。

■O:今日のコラム
ヨハネの福音書には各章に渡って共通する重要なテーマが幾つかありますが、その一つが「わたしがそれ」と主イエスが言われた言葉です。これはあの出エジプト記3章で主がモーセに名前を明かされた「わたしはあるという者である。」という言葉と同じ意味を持っています。

ヨハネの福音書8章の中で主イエスはこのように言われています。

「それでわたしは、あなたがたが自分の罪の中で死ぬと、あなたがたに言ったのです。もしあなたがたが、わたしのことを信じなければ、あなたがたは自分の罪の中で死ぬのです。」(ヨハネの福音書8:24)

この「わたしのことを信じなければ」という言葉は直訳では「わたしがあるということを信じなければ」と記されています。主イエスはヨハネの福音書の中で繰り返し「父とわたしは一つです。」と言われ、また「わたしを見た者は父をも見たのです。」と言われています。つまり聖書(旧約)に現されているイスラエルの神、「わたしはある者」と言われたヤハウェなる主とイエス様ご自分は同質であることを証ししておられるのです。

また14章において主イエスはこう言われました。

「またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。」(ヨハネの福音書14:13)

詳訳聖書によると「わたしの名によって」という言葉は「わたしはあるという者に頼り」と記されています。つまり主イエスが「わたしはある」というお方であることを信じて祈り求める時に主は答えて下さるということがここに記されています。

さらに18章においては、

「それはわたしです。」

と言われました。これはヨハネの福音書の中に共通するテーマです。旧約聖書と新約聖書は切り離せるものでは無く、旧約聖書に啓示されている約束の実体であり、全ての約束の成就がイエス様ご自身なのです。

モーセ五書の律法も、詩篇や諸書も、預言書も全てはイエス様を啓示し、イエス様が答えであり、イエス様が聖書の中心なのです。日々、御言葉を朗読する時、もちろんそこから私たちの答えや導きを得、人生に必要な慰めや励ましを受けるのは良いことです。しかし、そこだけにとどまること無く、御言葉を通して「わたしがそれだ」と言われるイエス様ご自身を見出し、イエス様と人格的な交わりを持つことが出来ますように。

「わたし、主こそ初めであり、また終わりとともにある。わたしがそれだ。」(イザヤ書41:4b)

■A:考えてみよう
日々、御言葉の朗読を続けてまいりましょう。御言葉を読む前にしばらく祈りの時を持ち「信仰の目を開き、イエス様を今日も新たに知ることが出来ますように。」と求めて、御言葉を開き朗読をしましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 しんご 】

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