■S:今日の聖書の言葉
ヨハネによる福音書10章10~14節

★盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。
わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。
牧者でなく、また、羊の所有者でない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして、逃げて行きます。それで、狼は羊を奪い、また散らすのです。
それは、彼が雇い人であって、羊のことを心にかけていないからです。
わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。また、わたしのものは、わたしを知っています。

■O:今日のコラム
私が3歳ぐらいの頃、母とデパートを歩いている時のことです。母が何か商品を見ている間、私は母のそばで周りを見ていました。母の着ていた紺色のスカートを目印に母について移動しましたが、ふと見上げると全く知らない人でした。私にスカートを掴まれた婦人は「あらあら、どなたですか?」と私を見下ろしました。幼い私でしたから大変なショックでした。母だと信じていたのに、見上げたら見たこともない顔で、「母を見失ってしまった!」と恐れを抱いた瞬間を今でも覚えています。

もう一つの怖い思い出です。波の高い海辺に親戚と遊びに行った時のこと。親戚の5歳年上のお姉さんは当時5歳位だった私をしきりに波打ち際まで遊びに行こうと誘いました。「絶対に大丈夫だから。絶対手を離さないから!」そう約束した相手も10歳です。

波打ち際までついて行くと、案の定、高い波がやってきて、その親戚のお姉さんはあっさり私の手を離してしまい、私は波にのまれ、海にしばらく沈みました。自分の記憶では、遥か高いところに天井のように海面が見え、泳ぐひとたちの下半身だけが下から見えていました。次の瞬間、気が付くと父が私を引き上げ、私はおいおいと泣きました。恐縮ですが、海は色んな意味で苦手です。

今日のみことばの箇所で、イエス様はご自身を羊飼い、イエス様を信じて従う者を羊に例えて語られました。ここには、羊飼いイエス様の他に、羊に働きかける2種類の人物が出てきます。一人は盗人であり、それは言わずもがなですが、サタンです。もう一人、それは「雇い人」です。

雇い人は、親切に羊を連れ出すので、羊たちも安心してついていきます。時には牧草がある場所へと連れて行ってくれます。水のありかを教えてくれます。危険なところへは行かないように、いざなってくれることもあるでしょう。けれども、いざ、盗人が来る時にはなんの頼りにもならないことが、今日の箇所で分かります。雇い人は羊を守ってはくれません。逃げていきます。

この雇い人は誰なのでしょう。今日の御霊の語りかけから、それはこの世の有益な知識、情報や常識といったものではないかと思わされています。

今は様々な情報あふれる時代。困った時に、または何か分からないことがある時、ネットを開けば、得られない情報はないのではないかと思うほどです。また、人類の歴史から得てきた統計など有益なデータもあふれています。

ユダヤ人の格言で「お金は最高のしもべであり、また最悪な上司である。」というものがあるそうです。つまり『お金を賢く治めて用いるのであれば、最高のしもべになるけれど、お金に支配され左右されてしまうなら、最悪な上司となる』ということです。

同じ様に、私たちは、世にあふれる情報、統計、知識、常識を参考にし、賢く用いることはある程度は有益だと信じます。それすらも、治めるようにと私たちに任されているものであると、信じます。これらを全く無視するなら、周りの人に迷惑をかけてしまうこともあるかも知れません。けれども、それらは絶対的真理ではないことを、いつも心に覚えておく必要があります。

私たちは日々、心と思いにこびりついているこの世の常識、自分が当たり前と思っていること、当たり前と人々が言っている事柄から、みことばによって洗いきよめられる必要があります。

「お金がないとこれが出来ない。」「この病気は治らない。」「これが無ければ、次へは進んではいけない。」「これが私を幸せにしてくれる」「これをしていないと病気になる」…etc 具体的に書くのはなかなか難しいですが、知らず知らずに私たちの内側は沢山の「常識」「知識」という名の「思い込み」が存在します。それは事実かも知れません。けれども、真理ではありません。実は、主の御手に信頼するならばそのような「当たり前」が全く、くつがえされることばかりです。

この世の知恵、常識、この世の知識は私たちを永遠のいのちへと導くことはできませんし、いざ、盗人が来る時には私たちを置き去りにして逃げて行くものであることを、忘れてはなりません。

私の内にも、たくさんの雇い人がいて、私は知らず知らずにそれが羊飼いだと思って、ついて行ってしまっていることに気付かされます。幼き頃の失敗が今でもあるのです。盗人が来る度に、それらの雇い人が私を置いて逃げてしまうので、「随分と信頼できないものを頼りにしてしまっていたなぁ」と気付かされることがあります。

この世の有益なあらゆる知識に信頼するのは、そこそこにして、目に見えない方に信頼をおきましょう!信仰がなくても歩める生活(この世の常識の中に安住する生活)はむしろ終わりにして、信仰がなければ歩めない歩み、主に信頼しなければ進めない領域へと、日々の生活をシフトしていきましょう。

雇い人ではなく、羊飼いについて行きましょう!まことの羊飼いは決して私たちを見捨てません!

■A:考えてみよう
「イエス様の血潮を宣言する祈り」の「考え、意識と無意識」に宣言する祈りがありますが、その中に「私の内にある、この世に属するすべての知恵はあばかれ、廃棄されます。」という宣言があります。

日々の祈りの中で、血潮の宣言、御霊による祈り、みことばの朗読によって私たちの内側にある「神の知恵」から私たちを遠ざけるものから、きよめられていきましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 みちる 】

カテゴリー: マナメール

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